もう1つの家じまいにおいては、徳川慶喜家に代々受け継がれてきた貴重な資料を、今後どうするかを決めなくてはならない。明治天皇から慶喜公への書簡、慶喜直筆の書、写真など、その数なんと6000点あまり。やはり個人が所有し続けるのは難しい。
「これまで所有権は徳川慶喜家のまま、水戸藩主だった徳川昭武さまの別邸(千葉県松戸市)敷地内にある『戸定歴史館』に預かってもらっていました。そのためアンクルの遺言にも、そちらに寄贈するよう書かれていました」(山岸さん)
しかし、話が進むにつれ、小規模な歴史館では手に余るということで辞退されてしまう。さまざまな博物館に働きかけた結果、国立博物館への寄贈の段取りをつけた。「現代の大政奉還ですね」と山岸さん。現在、寄贈すべく準備を進めている。
ほぼ全員反対「5代目指名」
さて、話を墓じまいに戻す。最大の難関は、家族や親族の理解を得ることだった。山岸さんが徳川姓ではなく、男性でもないことから反発は大きかった。
「『なぜ美喜が跡を継ぐんだ』と親戚のほとんど全員に反対されました。遺言で叔父から託されたにもかかわらず、葬儀で『喪主』を名乗ることさえできず、とても残念な思いで『葬儀責任者』として執り行いました」と山岸さんは振り返る。

