片道5時間の名古屋と茨城を行き来する叔父の看病は、予想以上に大変だった。
一方で、叔父の体調が良いときには、2人でゆっくりお酒を酌み交わして話したこともあったという。そんななかで叔父から伝えられたのは、「美喜ちゃん、あとはよろしくね」という言葉だった。「思ってもみないことで、最初はとても驚きました」と山岸さんは話す。
闘病生活が3年ほど続いたのち、慶朝さんは67歳でその生涯を閉じた。
実は、山岸さんが最終的に5代目の当主となったのは、闘病中に叔父が書いた遺言に基づくものだった。「財産を私に遺贈すること、また遺産執行人として私を指名することなどが書かれていました」と山岸さん。
叔父から託された2つの「使命」
叔父から託されたのは財産だけではなかった。同時に、徳川慶喜家の「墓じまい」と「家じまい」も山岸さんの使命となった。慶朝さん自身が墓所や資料などの管理に長年苦労したことから、「こんな大変なことは私の代で終わりにしたい」と、墓じまいと家じまい(絶家)を決意したという。
まず、墓じまいについてだが、当然、墓といっても一般の家とは規模が違う。
東京都台東区の谷中霊園内にある徳川慶喜家の墓所の面積は300坪、小学校の体育館ほどの広さがある。石塀で囲まれた墓所には、墓だけでなく、多くの植栽があり、少しでも手入れを怠ると雑草だらけになってしまう。個人が管理し続けるのはあまりにも無理があった。

