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年収500万円を捨て、透析を受けて…一流電機メーカーを辞めた64歳が現金日払いの「荷揚げ屋」を30年以上続ける切実な理由

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荷揚げ屋として働く今村康二さん(仮名・64歳)(写真:筆者撮影)
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今村はこのとき20代だったが、残業代がもらえていたときの年収は500万円を超えていて、資金には余裕があった。

手元の金は尽き、たどり着いた即金日払い

世界一周はまずニューヨークからだった。そこからロンドンに飛び、ギリシャ、トルコを回った。学生時代、ESS部だったので英語にはそれほど苦労しなかった。バルセロナの空港では、荷物の盗難に遭った。盗難証明のため警察に行くと、その日だけで100人目の被害者だった。再度、ワシントンDC、ロサンゼルスと回り、日本へ帰国。約90日間、費用は60万円ほどの旅だった。

「日本に帰ってくると、手元の資金が底をついていました。アルバイト情報誌を見ると『即金日払い8000円』という文字が目に飛び込んできました。それが荷揚げの仕事でした」

前述の通り、荷揚げは大変な仕事だが、今村には耐える能力があった。スポーツインストラクターや某テーマパークでダンサーをしているという体力自慢がバイトに来てもすぐに逃げ出した。何人かのゲーマーが長く続くのは意外だった。

しかし、今村はこの時点で30歳。前職の経歴も転職市場で十分に通用する。日雇い仕事で食いつなぐには若すぎる。

「そう思います。1年ほど荷揚げの仕事をして、体がきついので、31歳のとき外資系のコンピューターメーカーに就職しました。今度は、法人にパソコンを売る営業でした。経験があったのでよく売れて、3カ月目の営業成績は社内で3番目でした。残業もなく定時で帰れる会社でした。ただ外資系の縦割り社会と息の詰まるような雰囲気は肌に合いませんでした。3カ月は試用期間で、4カ月目に入るとき『正社員になりますか?』と言われましたが、『私は会社を辞めます』と返事をして、それっきりです。2カ月後、その会社は日本撤退を決めたようでした」

会社員に戻れる力はあったが、組織に勤めることに今村は拒絶反応があった。一度、日雇いの暮らしを知ると、飼い慣らされた月給取りの生活には魅力を感じなかった。

今村に、荷揚げ屋で生き残れた理由を聞いてみた。

「ポリシーはなく、なんとなく流されて、です。これを辞めたらどうやって食ってこうという人生設計も考えていませんし、切迫感はありません。ダラダラ続けていたら30年以上経っていました」

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