「研修後、営業部の上司と最初に話したことは『君、終電は何時だ?』でした。月に130時間以上の残業、週に1回は徹夜。ホワイトボードに外回りの行き先を書いて、朝4時に会社に戻ることもありました。客先で21時まで打ち合わせをして、会社に戻り、事務作業をしてから翌日のための提案書を徹夜で作っていました。僕の部署では年間何十人も辞めて、3人ほど自殺した人もいました」
「会社を辞めます。世界一周に行きます」
入社して数年経つと、今村は部署のリーダークラスに出世をした。残業自体は変わらなかったが、バブルは弾け、会社が利益率に厳しくなってくると、定時でタイムカードを切らされた。残業代はつかないが仕事はしている。いわゆるサービス残業だ。
ある日曜日、今村は翌日提出の提案書を作るために出社した。会社の電源が落とされていたため、近くの公園で同僚たちと打ち合わせをして、徹夜のまま月曜日も営業に行った。
「そろそろ潮時かな」
今村はふと、そう思った。仕事への情熱が冷め、折悪しく小さな支店に転勤にもなった。支店では、本社とは情報の質と量が圧倒的に違った。別業種の子会社に行く道もあったがコンピューター以外に興味が持てなかった。
上司たちを見て思った。課長クラスになれば、だいたい子会社へ出向する。部長からその先へとピラミッドの頂点に残れるのは同期入社の中でもほんの一部だ。10人が5人、そして3人。自分は残れるのだろうか。
少しは転職活動もしてみたがもうすぐ30歳。面接では「どんな仕事で利益を作れるのか」ばかりを求められ、嫌になった。ある日、心を決め上司に言った。
「会社を辞めます。世界一周に行きます」
それまでもゴールデンウィークや年末年始に、短い休暇を使いアメリカや中国などを訪れていた。
「同僚にも海外旅行に行く人は多かったです。理由は上司や客先からの問い合わせの電話に追いかけられないからです。今なら考えられませんが、休暇中に実家へ電話がかかってくるのは当たり前で、新婚旅行先のホテルに電話がかかってくることもあったみたいです。だから面倒な客先の夏休みと期間をずらして海外旅行を入れている人は多かったですね」

