「荷揚げの仕事は10人中9人が1週間で辞めます。短い人なら初日の10時の休憩で消えます。1週間は『新人』と呼ばれ、それ以上現場に来ることができると、やっと名前を覚えてもらえます。私も初日は、お昼ご飯を食べようとしたら手が震えて、箸が持てないので、おかずを箸で刺して食べました。
始めた1990年代は日当8000円。今は1万円から1万1000円ぐらいですかね。荷揚げではなく、手元という雑用に回されることもあって、こちらは体が楽ですが、日当は6000円のときもあります」
キツい仕事だ。さすがの今村も50歳を過ぎてからは、重量物ではなくアルミサッシなどの軽めの荷揚げ現場に行くことが増えている。時には荷揚げだけでなく、アンカーを打ったり、玄関の鍵を付けたりと職人のような仕事もしている。
「君、終電は何時だ?」人気企業の実態は残業130時間
今村は最初から日雇いをしていたわけではない。
両親が教師という厳格な家庭に育ち、関西の私大で大学生活を送った。卒業後、就職した企業は日本を代表する電機・コンピューターのメーカーだった。グループ全体の従業員数は10万人を超え、就職ランキングでもトップ10に入ることが多い人気企業である。
「1浪していて、1988年に大学を卒業しました。日本では重工業、化学工業、自動車産業の順に発展してきました。当時はバイオ関連とも悩みましたが、ちょうどコンピューターが上向きになってきたころで就職先として選びました」
会社が用意した寮に入り、3カ月の新人研修を受けた後、コンピューターの法人営業の部署に配属された。
「企業向けのコンピューターを営業します。多いのは4年リースで、数億円の契約になります。ライバルと競合して負けると、次は4年後に向けて、御用聞きをしながら顔をつないでおきます。ノルマは結構厳しくて、期末、年度末などには別の部署と売り上げを交換する伝票操作もありましたね」
今村は直接恩恵を受けたわけではないが、時代はバブル末期である。右肩上がりの経済を背景に「24時間働けますか」というフレーズのCMが流れ、長時間労働が美徳とされていた。

