W杯招致を本格的に始めた1991年は、まだ日本経済にバブル時代の余力が残っており、自治体にも財政的な体力があった。招致委員会のアンケートには約20もの自治体が「ぜひ開催都市になりたい」と名乗りを上げた(川端康生著『日韓W杯の覚書』より)。
W杯という旗印が、国中のインフラ整備を劇的に後押ししたのだ。
招致実現に必要だった2条件
この追い風はJリーグ誕生にも及ぶ。当時、日本はまだW杯に1度も出たことがなく、招致実現のために日本サッカーの競技力向上が不可欠だった。また、W杯のために建てる大型スタジアムを日常的に稼働させるには、本拠地とするチームが必要だ。
その2つの問題を解決するのが、プロリーグ設立だったのである。
W杯のために自治体がスタジアムをつくり、Jリーグのクラブが本拠地として使う――日本サッカーの基盤を一気に強固にする、最高の補完関係だ。
招致活動はアンダー年代の強化にも恩恵をもたらした。
招致の広告塔として、アンダー年代の日本代表が積極的に世界に送り出されたのだ。それによって小野伸二や高原直泰ら黄金世代が誕生した。
サッカーは国を動かし、世界を動かす。サッカーが持つポリティカルパワーを、日本はW杯で身をもって体験した。


