窪田:アメリカ軍が撤退したことによる恩恵で、最終的に気象予報士になられたというわけですか。米軍も予想しなかった思わぬ影響でしょうね。
森田:そのまま天文好きの子どもとして成長していったわけですが、高校を卒業するタイミングで、就職するか進学するかに迷いました。私の家は経済的に余裕があまりなかったので親に学費の負担をかけるよりは就職したほうがいいかなと考えていました。そんなとき、高校の先生が「気象協会というところの求人募集があるから、受けてみたら?」と教えてくれたのです。この恩師の勧めがなければ、今とは違った道に進んだかもしれません。採用試験は大学受験よりも早く行われたので受けてみたところ、無事に採用になりました。実はそのあとに大学入試も受験して合格したのですが、気象協会でなら、ちょっと働いてみようかな、と。
ところがいざ働いてみたら、気象協会という職場がとても面白くて。実は、それまでは気象なんて好きでもなんでもなかったんですよ。
窪田:えっ、そうだったのですか?
「何だ、この世界は」
森田:天文は好きでしたが、天気にはさほど興味がありませんでした。でも協会に入ったことで、訓練の一環として、学問の初歩的なことを勉強させられました。そうしたら、気象の分野もとても面白いということがわかってきたのです。もう「何だ、この世界は」と思いましたね。
窪田:例えばどんなことが、そんなに面白かったのでしょうか。
森田:最初にやったのはプロットという作業でした。気圧のデータなど、世界中から集まった気象データを地図に記入するだけの細かい仕事なのですが、私にとってはこれがもう楽しくて。もともとサイエンスが好きだったので、気象にもハマる素養があったのでしょうね。そのころ、名古屋で、テレビの解説者を育てるということになり、24歳のときに研修として、名古屋から東京へ転勤になりました。
その辺りから仕事の幅も広がり始めて、今に至るという感じです。
