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ライフ #百貨店消滅タウン

「県庁所在地の水戸市を上回る商業都市」→「駅前が死亡、廃墟モールも誕生」…茨城県にある「百貨店が全滅した街」の要因

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URARA外観
URALAに掲げられた看板には「土浦市役所」の文字が(写真:筆者撮影)

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かつて百貨店は「特別な場所」だった。家族と過ごす休日、背伸びをして選ぶ贈答品。屋上やレストラン街には、地域の憧れと活気が凝縮されていた。しかし今、多くの街からその姿が消えつつある――。
本連載では、百貨店が消滅した街を歩きながら、「なぜ消えたのか?」を街ごとに分析していく。
第4回は茨城県土浦市。かつて県南部の中心都市として栄えた土浦市には、3つの百貨店と複数の大型店が並んでいた。しかし現在、それらはすべて消滅。なぜ土浦は、茨城県南を代表する商業都市でありながら、百貨店を維持できなかったのか。

土浦駅前には百貨店と大型店が密集していた

茨城県土浦市には、かつて3つの百貨店が存在した。京成百貨店、小網屋、そして地元呉服店の伊勢屋が高島屋と提携して出店した店舗である。さらに駅前には、イトーヨーカドー土浦店、丸井土浦店、西友土浦店も立地していた。

1980年代後半の土浦駅前には、百貨店と大型店が集積し、商業規模では県庁所在地の水戸市を上回る時期もあった。

しかし、その集積は短期間で縮小していく。1989年に京成百貨店が閉店。その後も1998年に西友、1999年に小網屋、2004年に丸井、2013年にイトーヨーカドーが撤退。1987年時点で約4万2000平方メートルあった百貨店的大型店の売場面積は、26年かけてゼロになった。商業という観点では、土浦駅前は「死んだ」も同然の状況なのだ。

現在、跡地の一部はマンションやオフィスビルに転用されている。イトーヨーカドー跡には2015年から土浦市役所が入居し、駅前の機能は「商業中心」から「行政・住宅中心」へ変化した。また、バブル期に大金を投じて作られた駅前の商業施設「モール505」は、今では廃墟モールとして知られている。

なぜ土浦では、これほど多くの百貨店と大型店が相次いで消滅したのか。本稿では、その起点となった1980年代後半の変化を追う。

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【江戸時代から商業都市として発展してきた土浦】

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