絶頂期の裏で、商工会議所は「地盤沈下」を警告していた
しかし、モール505が開業した1987年3月、土浦商工会議所が発行した『商業近代化地域計画報告書』には、駅前開発とは対照的な認識が記されていた。
「行政と商工会議所、商業者がハード面、ソフト面の一体的な活動の基に市の商業活動の地盤沈下に歯止めをかけて商業振興に努めるべきと考えます」
発言者は当時の箱根宏・土浦市長である。つまり土浦では、新たな商業施設が相次いで開業していた同じ時期に、行政側はすでに商業力低下への危機感を持っていた。
報告書には、その背景となる数字も掲載されている。土浦商圏全体の吸収率は、1980年の59.4%から1982年に54.6%、1985年には52.2%まで低下していた。5年間で7.2ポイント下落した計算になる。一方で、桜村(後のつくば中心部)の地元吸収率は、同じ期間に22.9%から60.7%へ急上昇していた。
背景にあったのが、1985年の大型商業施設開業である。3月に西武筑波店とジャスコ(クレオ)、5月にはダイエー筑波ショッピングセンターが開業し、桜村周辺の消費が地域内で完結するようになった。
それまで桜村の住民は、土浦駅前の百貨店や大型店へ買い物に来ていた。しかし大型店開業後は、周辺地域の消費者が自分の地域内で買い物を済ませる構造へ変化していく。商工会議所も、この変化を「土浦そのものの縮小」とは分析していない。
報告書には、「土浦市の商業集積が絶対的に縮小したことによるのではなく、周辺市町村における商業施設の充実によって、サブ商圏が自立化してきたことによる」と記されている。
つまり土浦で起きていたのは、駅前商業の急激な崩壊ではなかった。周辺地域の商業機能が強化され、広域商圏が徐々に解体されていく現象だったのである。
モール505や高架道路が完成した1987年は、土浦駅前が絶頂期に見えた時代だった。しかしその裏側では、土浦商圏そのものの縮小がすでに始まっていたのだ。
では、つくば市成立後に土浦駅前で何が起きたのか。駅前集中型の都市構造は、なぜ維持できなくなったのか。都市の郊外化と車社会の進展から検証する。
