背景にあったのは、消費行動の変化である。川口川を埋めて駐車場を整備したことで、土浦駅前は「鉄道と水運の街」から、「自動車で来店する商業地区」へ再構築されていった。地元百貨店も全国チェーンも、その変化を前提に大型投資を進めたのである。
商工会議所の調査によれば、1968年時点の土浦商圏は半径25キロ圏、人口30万人に及んでいた。土浦は茨城県南の商業中核都市として拡大を続け、1980年代の絶頂期へ向かっていく。
万博を追い風に駅前へ集中投資した
大型店集積が完成してから約20年経ち、土浦は次の成長機会として、隣接する桜村で開催予定だった国際科学技術博覧会(つくば科学万博)に注目する。
1985年開催の万博は、半年間で約2000万人の来場が見込まれていた。土浦市と商工会議所は、常磐線の主要駅である土浦駅を万博来場者の玄関口に位置づけ、駅前への集中投資を進める。
その象徴が、駅前の再開発だ。1987年3月、川口町に「モール505」が開業する。総延長505メートル、総事業費10億4000万円の連続式商業施設で、当時の土浦市都市計画部長は業界誌『道路』(1987年8月号)で、「新規入店需要が多く、ほぼ満杯状態で店舗も繁昌している」と説明している。
同じ1987年3月には、土浦ニューウェイ(駅東学園線高架道路)も完成した。万博来場者の輸送ルートとして整備された高架道路である。
当時の土浦駅前には、京成百貨店、小網屋、伊勢屋、イトーヨーカドー、西友、丸井という6つの大型商業施設が集積していた。さらにモール505も加わり、売場面積は合計約4万2000平方メートルに達する。
商圏は周辺18市町村に及び、土浦は茨城県南の商業中心都市として拡大を続けていた。この時点では、土浦駅前の商業集積はむしろ拡大を続けているかのように見えていた。
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【土浦で起きた商業衰退の真実】
