土浦は「水運」と「街道」で発展した商業都市だった
土浦の商業は、水戸街道と霞ヶ浦水運を基盤に発展した。1604年に水戸街道が整備されると、土浦は城下町であると同時に宿場町としても機能し、人や物資が集まるようになる。
さらに霞ヶ浦の水運によって、土浦は物流拠点としての役割も担った。江戸後期には醤油醸造業が発展し、製品は船で江戸へ運ばれていた(『土浦市史』1975年)。
中心市街地には川が多く、川口川は霞ヶ浦と城下を結ぶ運河として利用されていた。1906年には洪水対策と舟運管理を目的に川口川閘門も建設されている。つまり土浦は、街道と水運の結節点として発展した商業都市だったのだ。
その土浦で百貨店業が始まったのは1917年である。土浦繭糸市場の一角に豊島百貨店が開業し、茨城県南唯一の百貨店として営業した。戦後には霞百貨店となり、1968年には京成電鉄資本が入って京成百貨店へ改称される。
これが、土浦駅前に百貨店と大型店が集積していく原点となった。
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【「自動車の普及」が戦後の土浦を変えた】
