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【追悼・再録】外食王・小川賢太郎、資本主義「革命」の光と影、文字通り「波瀾万丈」を絵に描いたような人生だった

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そして東大。“白い巨塔”=医学部の医局制度改革を発火点とし、全学部が無期限ストライキに突入した。全共闘運動のただ中に小川はいた。「半端な改革じゃ済まない。国の仕組みを根本的にたたき直す。革命をやらなければいけない」。

だが、安田講堂の“落城”を境にストは次々に解除され、学生たちは教室に戻っていく。小川は違った。

当時信奉していたマルクス・レーニン主義によれば、革命の正規軍はプロレタリアート(労働者)だ。魚を釣るには魚のいるところへ。それも、最も労働条件の厳しいところがいい。東大を中退し、横浜の港湾荷役会社に潜り込んだのである。

労働者を組織化しながら、「表」の活動として社会党の選挙を手伝った。

予想はしていたが、幻滅する。「組合幹部上がりの議員は、日本のことも民衆のことも考えない。議員の地位に恋々としているだけ」。

決定的な転換点は、75年だった。この年、南ベトナムの傀儡(かいらい)政権が倒れ、ベトナム戦争が終わる。「ベトナム反戦」を叫んできた小川にすれば、勝利の瞬間だ。そのとき、思った。「マルクス・レーニン主義は終わったな」。「戦争を内乱へ」がレーニンの方程式だ。言い換えれば、戦争という条件の下においてのみ、権力奪取が可能になる。ところが、戦争は終わってしまったのだ。

「ボールを蹴っていれば、この試合、勝てるかどうかわかるでしょ。ユーゴの自主管理や中国の人民公社。社会主義のいろんな制度を勉強したが、勉強すればするほど、資本主義的生産様式はすげえな、と」。

決めた。資本主義の下で「世界の飢餓と貧困を撲滅する」道を探ろう。みんなが食えて、ハッピーに暮らすことができれば、社会主義も資本主義もへったくれもないだろう。

2005年撮影(撮影:風間仁一郎)

中小企業診断士という、おあつらえ向きの資格がある。その通信講座で簿記、財務諸表、マーケティングなど経営の基礎知識をひととおり習得し、78年に診断士登録。次は就職である。「食」にかかわりのあるコンビニか外食か。目に留まったのが、急成長中の吉野家だった。

人事部長が東大中退の履歴書を見て聞いた。「初任給15万円だが、どうする」。「普通に扱ってください」。

バイトに混じって店に立ち、31歳で経理部次長に。ところが、外見は華々しい吉野家の台所は火の車になっていた。株主構成も複雑だった。

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