天才ピアニスト・ブーニンが日本を愛する理由は「芥川龍之介」が原点にあった

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ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生
ブーニンは左手のマヒに加え、左足の切断という大きな苦難に直面していた(撮影:宮﨑 剛<MIYAZAKI Takeshi>、(株)TBSスパークル 番組制作映像部)
1985年、19歳の時にショパン国際ピアノコンクールで優勝した天才ピアニスト、スタニスラフ・ブーニン。ダイナミックで華麗な演奏は世界中を魅了し、日本では「ブーニン・シンドローム」と呼ばれる熱狂を巻き起こした。
その後、音楽活動の自由を求めてソ連から当時の西ドイツに亡命。ドイツと日本の二拠点で生活しながら充実した日々を送っていた。しかし2013年を境に、天才ピアニストは表舞台から姿を消す。実はその間、ブーニンは左手のマヒの加え、左足の切断という大きな苦難に直面していた。 
しかし、それでもピアノをあきらめることはなかった。復帰を目指す姿に密着したNHK取材班は『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』(小社刊)を刊行した。ここ数年の番組内容はもちろん、最新のブーニンへの取材も交え、ブーニンの人と音楽の魅力に迫っている。
ブーニンは2025年10月~2026年1月まで日本ツアーを開催したが、取材班はその直前の本人をインタビューしている。その内容を3回にわたってお届けする第2回。

「あなたたちの一員にはならない」

――ソ連体制下ではさまざまな嫌な思いをされたと聞いています。

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ブーニン:嫌なことは本当にたくさんありすぎました。いろいろと妨害もありましたが、逆にそれがあったからこそ「ここを去るんだ」という決意を固めるに至りました。「私はあなたたちの一員にはならない」と。

それ(亡命)は成功しましたが、そこに至るまでには非常に頻繁に戦わなければなりませんでした。異常なことです。最悪だったのが、モスクワ音楽院の教授たちです。

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