なぜ教育委員会は「問題を問題としない」組織なのか?現職の指導主事が失望した、学校改革を阻む"事なかれ主義"の古い体質

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「最近気になるのは、忙しそうな先輩に声をかけられず、AIに相談して完結してしまう若手が増えていることです。教室の中で子ども同士が互いに助け合える雰囲気をつくるには、職員室で教員同士が助け合える環境があることが重要です。AIを有効活用するのは良いことですが、職員室で対話する文化や余裕がなくなってしまうことを危惧しています」

縦社会の人間関係が再生産される構造的欠陥

藤田さんが現在、最も強い危機感を抱いているのは、教育委員会と学校現場の「人事交流」がもたらす弊害である。

「うちの自治体では、指導主事から教頭、校長へと昇進するパターンが定着しています。つまり、教育委員会内のガチガチの縦社会の人間関係が、そのまま学校現場へと受け継がれ、再生産されていく仕組みなのです」

欧米諸国では、教育行政を担う「行政官」と学校で教える「教育職」のキャリアパスは明確に分離されていることが一般的だ。日本のように頻繁に人事交流を行うのは、世界的に見ても特殊だという。

「指導主事から見れば、教委で上司だった人が各学校の管理職になっていくわけです。その人たちに対して、強い物言いができるわけがありません。狭い世界で人間関係が閉じているため、組織としての風通しが悪く、クリエイティブな試みが制限されてしまうのです」

学校現場において数年単位で繰り返される人事異動も、継続的な改革を阻んでいる。

「『来年はこの学校にいないかもしれない』と思うと、思い切った取り組みはしにくくなります。私も前任校で教務主任として通知表をなくす改革を進めていましたが、校長の退職と私の異動で頓挫してしまいました」

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