「おれには、もう、何もないのよ、何もないのよ」50歳目前で半身不随、仕事も妻も失った元歯科医の実話≪家族は知らない真夜中の老人ホーム≫
麻痺した左半身
どすんと音がして、トイレのほうから「助けてくれー」と男の声。さきほどトイレ誘導した元歯科医の井上秀夫さんの声だった。
しまったー。
彼が用を足し終わるまでそばで待っているわけにもいかず、二宮アヤさんの着替えの介助をしているときだった。
目の見えない二宮さんは布団のうえで上半身肌着1枚にされ、にこにこしていた。とりあえず彼女の肩に上着をかけ、「ちょっと待ってな」と言って、トイレに駆けつけた。
哀れにも井上さんがトイレの床に倒れていた。
武岡にある民家を改造したグループホーム、その南側のトイレは狭く、そして井上さんは大柄である。便器と壁の間に挟まれて動きがとれなくなっていた。
「どげんしたと。動かないでと言ったがな」
井上さんはトイレの壁を睨らんだまま返事をしない。


















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