徳川と激突「大坂夏の陣」豊臣軍の"壮絶な最期" 勝利のために最期まで戦った豊臣家の家臣たち
大坂方は、道明寺の戦いで後藤又兵衛・薄田兼相を、若江の戦いでは木村重成を失った。
豊臣秀頼が自害し、戦は終結した
長宗我部盛親軍が藤堂部隊に打撃を与えることもあったが、全体的に見ると大きな戦果があったわけではなく、大坂方は大坂城に引き上げていく。
城が徳川の大軍に包囲されるのは時間の問題であった。その後、大坂城に殺到した徳川方。堀などを埋められた大坂方にそれを防ぐ術はなく、5月8日に豊臣秀頼は自害し、大坂夏の陣は終結した。
(主要参考文献一覧)
・曽根勇二『大坂の陣と豊臣秀頼』(吉川弘文館、2013)
・笠谷和比古『徳川家康』(ミネルヴァ書房、2016)
・藤井讓治『徳川家康』(吉川弘文館、2020)
・本多隆成『徳川家康の決断』(中央公論新社、2022)
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