キャリア教育開始から20年、3つの段階と2つの課題とは

日本で最初の「キャリアデザイン学部」は2003年に法政大学で誕生した。児美川孝一郎氏は立ち上げからこの学部に携わり、20年にわたってキャリア教育の研究をしてきた第一人者だ。同分野の光も影も見てきた同氏によると、キャリア教育の歩みは、次の3つの段階に分けることができると言う。

児美川孝一郎(こみかわ・こういちろう)
教育学研究者/法政大学キャリアデザイン学部教授
東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。法政大学文学部教育学科専任講師、助教授などを経て2007年から現職。日本教育学会理事、日本教育政策学会理事。著書に『キャリア教育がわかる』(誠信書房)、『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)、『まず教育論から変えよう』(太郎次郎社エデュタス)、『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)などがある
(写真:児美川氏提供)

「2004年から文部科学省の予算がついて、学校でのキャリア教育が始まりました。背景には氷河期世代やフリーターなどの就職難があり、『勤労観』や『職業観』を説くことで、若い人の就職を目的にした教育が行われた。言い方はよくありませんが、この時期の取り組みはいわば対症療法で、キャリアについての包括的な教育ではありませんでした」

その反省を受けて、キャリア教育は2011年ごろから次の段階に移っていく。

「社会に出ることを『働く』という観点のみで考えるのではなく、市民として、地域住民として生きるための幅広いキャリア発達が考慮されるようになりました。これが第2段階です。近年はさらに第3段階として、学校で学ぶこととキャリアとの関係が意識され始めました。2020年度からの新学習指導要領をきっかけに、教科の勉強と自分の将来がつながっているのだという教育にシフトチェンジしてきています」

試行錯誤しながら変遷をたどるキャリア教育だが、今も課題は少なくないと児美川氏は見ている。1つ目の課題は、初期の「勤労観」を謳う取り組みの残像があることだ。教員の中には「社会人を授業に登場させなければいけない」「実際の仕事を意識させなければ」といった旧来の認識が残っていると指摘する。2つ目の課題は「イベント主義」だと言う。

「キャリア教育といえば職場見学をイメージする方も多いと思いますが、こうした特別な行事での学習は必須ではありません。特別なことをやらなきゃ、と肩肘を張ると、ただでさえ忙しい先生方は時間が足りなくなってしまう。そうではなく、日常の中に自然に溶け込ませて実施することこそが、今のキャリア教育に求められることだと考えています」

3つ目の課題にもなりかねない「教員の多忙」を、この「イベント主義」からの脱却で併せて改善できると語る。

家庭のコミュニケーションでも、子どもの意識は変えられる

日常の中に自然に溶け込むキャリア教育とはどんなものか。

「例えばクラス内の係や委員会。それぞれが役割をこなすことで成り立っているのは大人の社会と同じであり、これを理解することは立派なキャリア教育です。また、国語の授業なら登場人物を取り上げて『こういう生き方はどう思う?』と尋ねたり、理科なら『この知識がコンピューターやゲームなどのものづくりに生かされている』と付け加えたりするだけでいい。子どもたちは『なるほど、そういう将来もあるのか』と気づくでしょう」

学んだことが仕事につながると教えることは、子どもたちの学びの動機づけにもなる。彼らの「なんでこんなこと覚えなきゃいけないの?」という不満も解消されれば一挙両得だ。児美川氏は、こうした日常的なキャリア教育が実践できれば、職場見学や特別なイベントなどは減らしてもいいと助言する。また、現場の教員には世代ごとの温度差があると考えており、その改善に自身が果たすべき責任も感じている。

「自身がキャリア教育を受けていないベテラン世代の教員からは、苦労の声を聞くこともあります。しかしこれだけ変化の激しい社会では、教員に求められることが変わるのも仕方ないのではないでしょうか。また、若手教員は自らも過去のキャリア教育を受けているがゆえに、逆に指導内容に誤解を抱いてしまっていることも。私も研究者の責務として、こうした先生方によりよい指導方法を伝えていきたいと思っています」

現状については「学校が抱え込みすぎている」と語る同氏。学校が安心して手を放すためには、地域や家庭の力も発揮されるべきだと言う。

「家で子どもに自分の仕事について話をする大人は少ないのではないでしょうか。今日は会社でこんなことがあったんだよ、今はこういう仕事をしているんだよ、なんて伝えるだけでも、子どもの意識は大きく変わるはず。学校での1対40のキャリア教育だけでなく、家での1対1でのおしゃべりの効果もぜひ活かしてほしいと思います」

一直線に進めないときにどうするか、その力を育てたい

表面的な職業観を超えて、現在のキャリア教育で子どもたちに伝えるべきことは。児美川氏は2つのポイントを挙げた。

「まず1つ目は『夢は全員が実現できるわけではない』ということ。だから夢を持つなというのではなく、できなかったときにどうするかを考えようということです。進学や就職の際には現実を見ろと言うのに、その前の段階の教育では『夢』を強調しすぎている。これは日本のキャリア教育の構造的矛盾です」

大人はどうしても一直線のレールに乗せたがるが、実際の人生はジグザグと蛇行するものだ。まっすぐ行くことだけを目指すのではなく、そうできないときにも前に進む力をつけるのがキャリア教育であるべきだ。そのために有効な2つ目のポイントが、「『やりたい』の根っこを掘ること」だと同氏は続ける。

「夢が見つかった、なりたい職業名が出てきたからといってそこで終わりにするのではなく、なぜそれをやりたいのかの根拠を一緒に考えることです。ゲームを作りたいという夢の根っこにあるものが『ものづくり』への思いだとしたら、自動車や食品業界でもいいかもしれない。それがわかれば実現できることの選択肢が増え、まっすぐ行けないときのリカバリーもできるようになるはずです」

無理に1つに絞る必要はなく、やりたいことは2、3個あってもいい。児美川氏がそう語るのは、就職活動で苦労する大学生を間近に見ているからだ。

「自己分析と業界研究を経て『自分にはこれが向いている』と1つのジャンルに絞って活動する学生がいますが、何社受けても落ちるのなら、採用担当者に向いていないと判断されているということです。こういうときに第2、第3の方向に変えられる学生は、その途端にパッと内定が出たりします」

賛否あるキャリア・パスポートについても、大学教員の視点から語ってくれた。公立の小中学校では教育委員会の介在によって連携が可能だが、高校へ情報を手渡すには行政で仕組みを整えるしかない。さらに大きな課題は、現状では大学との連携が取れない点だ。

「キャリア・パスポートは入試では使用しない約束になっていますが、同様のものを生徒自身が提出する形にすれば有効だと思います。総合型選抜や推薦入試が増えている今、キャリア教育の取り組みは、本人が自分の過去を振り返り、将来を見通すのにも役に立つはず。高校生にもなれば自分で提出物は準備できるはずで、教員が手間を増やして用意する必要もないでしょう」

10年、20年前に比べて、児美川氏の下にやってくる新入生の像は明らかに変わっているそうだ。キャリアについてまったく考えていない学生はほぼいない。探究の取り組みや入試方法の変化によるものか、ディスカッションやグループワークにも慣れていて、自分の意見を言える学生も増えた。「大学で教えていても、キャリア教育の成果は確実に出ていると実感しています。苦労もあると思いますが、先生方には自信を持って取り組んでほしい」とエールを送った。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:ペイレスイメージズ1(モデル) / PIXTA)