「探究学習」の主体は生徒、教員はサポートのみ
東京都立小石川中等教育学校には、「小石川フィロソフィー」と呼ばれる授業がある。6年間にわたって全員が課題研究に取り組むという、同校の教育を象徴する授業の1つだ。まさに今重視されている探究学習だが、現在の学習指導要領に改訂される以前から続く授業だという。
上図のように段階的に課題研究のスキルを学び、5年生では「化学分野の研究」「国際理解」といった14の「Research Learning Room」(以下、RL-Room)に分かれ、生徒は自分の興味・関心に沿ったRL-Roomに所属して課題研究を深める。6年生は集大成として、研究成果を論文にまとめ、学校内外で発表を行う。
6年生の数学研究のRL-Roomを訪ねると、生徒たちはパソコンに向かって各自の研究をまとめていた。
例えば、野球部員だという生徒の研究テーマは「勝てるチームの特徴」。生徒は、「プロ野球を見ていたら、弱かったチームが急に強くなったのがなぜか知りたくなったんです。スポーツデータ解析コンペティションに参加し、そこで提供してもらえた選手やチームのデータを基にチームが強くなる要素を探っています」と説明してくれた。
「音ゲー(リズムゲーム)の難易度の仕組み」を研究する生徒は、「難しいといわれる曲のコンボ数や音の長さ、リズムの取り方などを数値化、グラフ化して実際の難易度と比較しています。そこで明らかにした『難易度を上げる要素』を盛り込んだ曲も作りました」と話す。
そのほか、数値解析ソフト「MATLAB」で絵の間違い探しを可能にする仕組みを研究する生徒、医療ドラマを見たことを機に「救急搬送における地域格差の是正」を研究し始めたという生徒など、取り組むテーマは実に多種多様だ。印象的だったのは、話を聞いた生徒が皆、現状の課題を含めて研究のポイントを明確に生き生きと説明してくれたこと。主幹教諭の德田紀子氏は、次のように話す。
「自分で考えて進めていくからこそ、ちゃんと話せるのです。教員の役割は生徒が自分の考えを整理できるようサポートすること。研究の道筋をつけることはしません。教員が『こうしなさい』と言ってしまうと、生徒はその方向に流れてしまいますから。生徒自身が課題を設定し、どう取り組むかも自ら開拓していくのが、本校の課題研究です」
そんな同校の課題研究は、生徒の新たな可能性を開いているようだ。6年生の山下結菜さんは、5年生の時に小石川フィロソフィーで「立体数独の問題生成」を研究。その研究成果が、中高生対象の科学コンクール「第66回日本学生科学賞(高校の部)」の中央審査で評価され、入賞3等を勝ち取った。
「数独は一般的に9マス×9マスの構成ですが、私は4×4×4の立体数独の性質を研究しています。当初は何となく数独をテーマに選びましたが、そこから興味が広がりました。気になったことを調べて自由に探究できる小石川フィロソフィーの時間は楽しいですね。この授業がなかったら、きっと数独をやっていなかったと思います」
「部活動」や「行事」に全力、学外の大会にも自ら参加
同校の生徒たちが、積極的に取り組むのは学業だけではない。運動部と文化部を掛け持つなど兼部は珍しいことではなく、行事にも全力投球だ。とくに毎年9月、1週間で芸能祭・体育祭・創作展を集中的に行う「行事週間」は、生徒一人ひとりが何かしらの役割を担い、大いに盛り上がるという。5年生の鈴木里菜さんは、昨年の行事週間をこう振り返る。
「私は去年、初めて委員会の立場で照明班として芸能祭に関わったのですが、舞台に出る人も裏方もこんなに頑張っているんだな、みんな自分の役割や責任を果たそうとしているんだな、と感動しました。この日のために夏休みを費やして準備をしたので、達成感がすごかったですね」
鈴木さんは、勉強や学校生活に打ち込む生徒が多いことは受験前から知ってはいたが、いざ入学してみると、その実態は想像以上だったという。
「理数系が好きな人は多いですが、国語が得意な人や社会問題に関心がある人、プログラミングがすごくできる人など、いろんな人がいる面白い学校です。さまざまなことに頑張る生徒が多く、やりたいことさえあれば何でもできるいい環境だということも実感しています」
鈴木さん自身、ラクロス部と英語研究会に所属するほか、物理研究班では自律移動型ロボットの設計も担当する。昨年参加した「東大グローバルサイエンスキャンパス」で知り合った他校の友人と一緒に、食料問題に関する情報を発信する活動も行っているという。
鈴木さんのように学外にも飛び出す生徒は少なくない。例えば毎年、国内外の理数分野をはじめとする各種大会に参加する生徒がたくさんおり、2022年度も国際生物学オリンピック優秀賞および文部科学大臣特別賞や、日本数学オリンピック本選優秀賞(日本代表候補)など、優れた成績を収める生徒が多数いた。
前述の山下さんも、数独だけでなく、3年生から独学で学び始めた競技プログラミングでも成果を出している。4年生で「日本情報オリンピック第1回女性部門」の優秀賞を受賞、5年生の時には日本代表として「ヨーロッパ女子情報オリンピック」に出場して銅メダルを獲得した。
「各種大会は教員が勧めるものではない」(德田氏)といい、生徒たちは自らの希望で申し込んでいるという。
「小石川教養主義」こそ「人を育てる近道であり王道」
部活動や行事に思い切りエネルギーを費やすだけでなく、学内外の場を問わずやりたいことを深掘りする生徒たち。その進学実績を見てみると、2022年度卒業生153名の大学合格延べ数は、東京大学(15名)など国公立70名、早慶上理を含む私立大学487名。現役合格率は91.5%、現役進学率は85%となっている。例年より学校推薦型選抜や総合型選抜に挑戦した生徒も増え、学校推薦型(公募型)では東大に3名、一橋大学に2名が、総合型では東京工業大学、東北大学、九州大学にそれぞれ1名が合格を果たした。
同校校長の鳥屋尾史郎氏は、進路指導についてこう話す。
「職場体験や大学の研究室訪問などの機会提供やサポートはしますが、とくに受験のための補習も介入もしません。いちばん大事なのは、本人が将来何をやりたいと思っているか。実際、多くの生徒は6年間でやりたいことを見つけ、『これをやりたいからこの大学のこの学部に行く』と自然に進路を絞っていきます」
最近の傾向としては難関大学に挑戦する生徒が増えているほか、昨年度は東京芸術大学に3名が合格するなど進路先の幅も広がっているという。「ちなみに芸大を受けた1人はバスケ部で音楽経験がないにもかかわらず、小石川フィロソフィーで『歌い手になるボイストレーニングの方法』を研究し、その独自のメソッドによって声楽科に現役合格しました」と鳥屋尾氏は話す。
本人の自主性を何より尊重する方針の土台には、同校ならではの教育理念がある。
同校では1918(大正7)年の創立以来、教育理念「立志・開拓・創作」を守り続け、この理念に基づき「小石川教養主義」「理数教育」「国際理解教育」を3本柱としている。
「とくに小石川教養主義の徹底が本校の特色です。これは6年を通して文系理系のクラス分けをせずに全員が全科目を学習するという考え方で、小石川フィロソフィーの活動もその1つ。広い知識や教養が身に付かなければ人は育っていきません。大学に受かればいいという効率主義とは真逆の本校のやり方は、遠回りに見えるかもしれませんが、実はこれこそが人を育てる近道であり、王道だと考えています」
文理を分けない教養主義を重視しつつ、SSH認定校の同校では理数教育に力を入れている。
「新学習指導要領の改訂を機に、昨年度『理数探究基礎』を4年生の科目として新設しました。データの扱い方や科学の倫理に重きを置きながら、実験で得られたデータを統計分析ソフト『R』や『MATLAB』でどう処理するかなど、数学と理科をリンクさせた授業を行っています。今年度からは、5年生に『小石川サイエンス』を導入しました。生物と化学を横断しながら内容を深掘りするなど、SSHならではの授業を試行錯誤しながら行っています」
国際理解教育も充実している。2年生で国内語学研修、3年生でオーストラリアでの語学研修、5年生でシンガポールでの修学旅行を行っており、希望制ではなくすべて全員参加だ。
「本校の生徒は、現代短歌を探究して運動部で活躍した子が理系学部に進学したり、湧き水を研究した子が法学部に入ったりと、進路選択が多様です。さまざまな選択が可能なのも、こうした教育の3本柱が大きいのではないかと思います」と鳥屋尾氏は語り、こう続ける。
「本校の生徒に共通するのが、社会全体をよく見て『自分に何ができるのか』という問題意識を持っていること。英語でも日本語でも、ディスカッションでは非常にまじめに話し合いをします。そういった風土が生徒をさらに伸ばしていく面もあると感じます。入学当初は幼さが残っている子も、3年生あたりで教員が驚くような考えを述べることが増え、4~5年生になると上手に周囲と協力して何かを成し遂げるようになるなど、大きな成長を見せます」
同校の教育成果を、今後は地域にも還元していきたいと鳥屋尾氏は考えている。
「とくにSSHとして、理数教育の成果をこの学校だけのものにしてはいけないと思っています。『優秀な生徒が優秀な大学に入って優秀な研究者になった』で終わらせるのではなく、地域や東京都全体の財産にしていきたい。小学生を対象にしている理科教室の回数を増やしたり、中高生まで広げたりといったことも考えています」
大学受験をするなら、その対策に特化したほうが効率的だという捉え方もある。しかし、社会の変化が加速し、正解がないといわれる時代において、同校のように自分なりの答えや軸を探すさまざまな経験ができる環境は、将来の伸びしろと可能性を広げてくれることだろう。
(文:吉田渓、注記のない写真:今井康一撮影)