「話す」から「聞く」へ変化する教師の役割

黒板に向かって板書をし「生徒に知識を授ける」――教師のそんなイメージは過去のものになりつつあります。

マレーシアで「4C」――Communication(コミュニケーション)、Critical thinking(クリティカルシンキング)、Collaboration(コラボレーション)、Creativity(創造性)の教育の世界を取材していると、よく「教えない先生がいい先生だ」と言われます。皆さんは、「教師は教えるのが職業ではないか」と思われるかもしれません。しかし生徒の「表現力」が重要視される21世紀型教育では、先生の役割は大きく変わります。先生は黙って話を聞いて、生徒に議論をさせるのです。

例えば、ある小学校の地理の授業では、先生がこんな質問を出していました。

「あなたは、英国はEUにとどまるべきだと思いますか? 賛成か反対か、どちらかの立場に立って、議論してください」

子どもたちは、まず自分の意見を決めるために、インターネットなどで事実を調べ、自分の立場(賛成か反対か)を考えます。こんな宿題もありました。

「世界で最も多くの人を救った歴史上の人物は、誰だと思いますか? 調査して、自分の考えを述べてください」。ほかにも「アパルトヘイトはなぜ終わりましたか。あなたの考えを書きなさい」という問題が出たこともあります。そこには「正しい答え」はありません。子どもたちは自分で調べたことを共有し、ほかの子が調べたことを聞き、議論します。こんな授業が多いのです。ここでの先生の役割は「聞くこと」です。

中には「聞く」だけではなく、講義そのものを禁止し、「教師が話す時間」を制限する学校も出てきました。少数精鋭教育をオンラインで実施している超難関の米国のミネルバ大学では、「講義形式の授業を禁止」しています。

すべての授業は教員を含め20人以下のセミナー形式で行われる。基礎科目や講義形式の授業は存在しない。授業には事前課題を提出した学生のみが参加でき、学生同士のディスカッションを中心に授業を進行させるため、90分間のうち、教員が話せる時間は合計10分と定められている。
山本秀樹『世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ』/ ダイヤモンド社より引用

「下から目線」の先生たち

保護者や教師からすると、「教えない先生」には不安もあるでしょう。では、肝心の生徒の側からはどう見えているのでしょうか。例えば、日本でも文部科学省が推進している国際バカロレア(International Baccalaureate、以下、IB)の高校の必修科目にTOK(Theory of Knowledge=知の理論)があります。公式ガイドによると説明はこうです。

「知の理論」(TOK)は、批判的に思考して、知るプロセスを探究する授業です。特定の知識体系を身につけるための授業ではありません。
TOK(日本語版)より引用

哲学の認識論と似ていますが、見ていると美学、数学、音楽、宗教など、あらゆるものを分析し、探究します。マレーシアのIBで学ぶ私の長男は、人気の先生をこう評します。

「クラスは、先生が一方的に何かを教えるのではなく、議論を中心に進められる。先生は生徒の話を聞き、『逆に、君たちの考えを教えてくれ』というスタンスで、仮に極論であっても、理解しようと努め、つねに生徒から学ぼうとする姿勢を感じる。先生がどんなに知識を持っていたとしても、あらゆる生徒に対して下から目線で、『自分のほうが物知りだ、偉いのだ』という意識を感じない」

「教師がものを知らなくていいのか?」と皆さんは思われるかもしれません。実はこの授業での最初のテーマは、そもそも「知る」とは何なのか。「正しい知識なんて本当にあるのだろうか」と、今までの前提を疑うところからスタートするのです。

例えば、
・視覚や嗅覚の感覚は、他人と本当に共有できているのか?
・全員が同じ赤色を見ていると証明できるか?

といったような課題について、生徒たちは、デカルト、プラトンなどかつての哲学者の意見なども参考にしながら、「知識に絶対的自信を持つこと」という前提を疑うところから始めます。さらに議論は「意見を共有する場所」であり、「正しさを争う場所」ではないことを理解していくのです。

実はこの先生は、ものを知らないどころか、その逆で、自ら生徒と共に学び続けているため、言語や文学、宗教、ファッションなど、あらゆることに造詣が深いそうです。音楽ならばメタル、ジャズ、ブルース、クラシック、民族音楽などあらゆるジャンルを全部聴く、という感じだそうです。

この授業を続けることで、生徒たちにはどのような変化があるのでしょうか。

「授業で発言する子は、どんどん羽を広げることができ、穏やかに議論が進む。みんな、互いの違う意見を認め合い、そしゃくできるようになっていく」

この「違う意見をそしゃくする」力は「オープンマインド」とも呼ばれ、IBでとても重要視されている能力です。実はこの能力が、これからの教育を語るうえで、欠かせないキーワードなのです。

「正解は1つ」から「オープンマインド」へ変わる教育

「これは、『私とあなたのどちらが正しいか』という議論とはまったく異なります」と言うのは、別のマレーシアのIB学校、フェアビュー・インターナショナルスクール・クアラルンプール校で校長を務めるヴィンセント・チアン博士です。

「オープンマインドとは、ほかの人の意見を受け入れ、ほかの人も正しいかもしれないと考えることです。これを私たちは5歳から18歳までのすべての子どもたちに教えていますが、教えている先生も戸惑うことがあります。『正解は1つ』という教育を受けてきた大人は、『実は唯一の正解があるはずだ、私たちの両方が正しいなんてありえない、どちらかが間違っているはずだ』と考えがちだからです」

この「オープンマインド」は、IBの10の目標に入っており、日本語では「心を開く人」と訳していますが、「異なった考え方を受け入れる」という意味です。

チアン博士は、この「正解が1つと思ってしまう問題(one right answer problem)」の危険な点を指摘します。

「正解のある教育で育った子どもたちは、『世界にはつねに正しいことと間違っていることがある』と学び、グレーの世界を学びません。成長すると、彼らはつねに正しい答えを探して、結果的に、何も言えなくなってしまいます。なぜならたった一つの正しい答えなんてないからです」

チアン博士は、こう続けます。

「ですから、私たちの試験では、数学などの問題などを除けば『正解は何ですか?』とは問いません。通常は『あなたはどう思いますか?』と尋ねます。IB教育を受けている子どもたちは、たった一つの正答を出すという訓練をされていないので、自らの意見を言うことをまったく怖がりません」

フェアビュー・インターナショナルスクール・クアラルンプール校での授業の様子。「who we are(私たちは誰か)」というテーマで、エクササイズをすることで筋肉系、神経系の動きを意識しながら動かし、体を大切にすることを学ぶ授業(左)。生徒が作った「歯のモデル」。消化だけではなく呼吸器の役割もあることについて学んでいく(右)

このオープンマインドという前提があって初めてクラスで議論が成立し、話し合うことができるのです。クラスでは次のような課題を話し合います。

「インドネシアには、収入のすべてがたばこ工場に依存する村があります。彼らはたばこがなくなると餓死します。一方で、人口の 90% が喫煙し、肺がんの発生率が非常に高い別の都市があります。では『喫煙は悪いことかどうか』について議論をしてください 」

この議論でのポイントは、正解を出すことではありません。すべての意見をただ聞いて、ただ吸収することだと言います。

「私たちが教えたいのは、ここに正解はないことです。あなたの考えを教えてください、それだけなのです。そこには、シンプルに私たちの意見があるだけなのです!」

チアン博士は、この教育のためには教師も訓練し、オープンマインドという新しい考え方を取り入れる練習をする必要があると言います。また、自分の意見を持つために重要なもう一つのことは、「教師も学び続ける」ことです。しかし、マレーシアでも学び続けている先生は実は少数派だと言います。

「学べ」と言う教師が「学ばない」現実

チアン博士は、こう続けます。

「ところが悲しいことに、ほとんどの教師は教師になった瞬間に、学ぶことをやめてしまいます。教育システムの最悪の部分です。彼らは大学卒業後に学習をやめる一方で、子どもたちに毎日学習するように求め続けます。非常に偽善的です」

チアン博士はもともと医師でした。医師は、つねに学び続けることを求められます。

「すべての医師は、学び続けなければならないことを知っています。医師は毎日、2つの論文を読まなければ、医療情報を更新できません。しかしインターナショナルスクールに通う教師に、『先週何を学んだか』と尋ねたら、ほとんどの人は、『何も』と言うでしょう。彼らは学校で特別なワークショップが開催されることを待っている。そのような機会がなければ自ら勉強することがないのです」

そこでチアン博士の学校では、すべての教師に学士号、修士号、または PhDプログラムのいずれかを受講することを義務づけました。IB教育を学ぶためのカレッジも用意されており、奨学金制度を使えます。ただし、これは簡単なことではありません。ときには教師が辞めてしまうこともあります。

「私たちは、教師とはその職務に真剣に向き合うべき職業であると信じています。そのため面接では、教育に真剣に取り組んでいる教師を選びます。ほとんどの学校は生徒の教育に重点を置いていますが、私たちは生徒ではなく、“教師を教える”ことに焦点を当てています。なぜなら、教師がよければ生徒を導くことはさほど難しくないからです。しかしその逆で、つねに教え方を現場で改善するのは難しい。それは大きな違いです」と言います。

では、そのような教師を訓練する機会がない学校に勤めている教師や、お金がなく学ぶことが難しい教師はどうすればいいのでしょうか。そんな人は、無料の大学を利用することが可能です。

例えば、米国にピープル大学という大学があります。オンラインでほぼ無料で学べる大学で、高校の卒業資格と一定の英語力さえあれば、コースを受講することができます。この大学の教育学のコースでは、受講者の多くが世界中から集まった現役の教師だということです。教員資格は取れませんが、教育の歴史やIBに基づいた授業の進め方などを学ぶことができます。

チアン博士は、「時間とは優先順位の問題」だと言います。

「多くの場合、私たちは週末ずっとネットで動画を見たりして、時間を費やしています。あまり生産的ではありません。役に立たないことで多くの時間が失われます。もちろん時間をうまく管理し、集中する必要がありますが、うまくいけばあなたは成長し、リラックスもできます」

そうはいっても、これを日本で実践するには多くのハードルがあります。まず、日本の先生は、授業以外にも部活動の顧問や校務など、たくさんの職務があり、時間外勤務も多いと聞きます。学ぶ時間の捻出や、今の学校の授業システムをすぐに変えるのは難しいでしょう。

取材したインターナショナルスクールでは、掃除や給食、クラブ活動は教師の仕事の範疇ではないことが多いので、教師にもある程度の余裕があるといえるからです。また、討論するためには、クラスの人数も制限しないと無理ですし、そもそも、IBのような議論する教育スタイルではなく、従来の教育制度のほうが「性に合っている」という生徒がいるのも事実です。

一人ひとりが違うので、全員に同じ教育を与えるのは難しいのです。

当面は、オルタナティブな学校やインターナショナルスクールなど、できるところから変わっていくしかないのかもしれません。また、教育を受ける側が、どんな教育でも選べるという状況をつくることも大切です。

しかしどんな教育であっても、教師が自ら学び続けられる環境をつくること、それだけは喫緊の課題であり、重要なことではないかと感じました。

野本響子(のもと・きょうこ)
東京都立青山高校、早稲田大学法学部卒業。『MAC POWER』(アスキー)、『ASAHIパソコン』『アサヒカメラ』(ともに朝日新聞出版)の編集者を経て現在フリーの編集者、文筆家。1990年代半ば、仲良くなったマレーシア人家族との出会いをきっかけに、マレーシアの子育てに興味を持ち、マレーシアに教育移住。東南アジア発の生き方・教育・ビジネス情報を発信中。著書に『子どもが教育を選ぶ時代へ』『日本人は「やめる練習」がたりてない』(ともに集英社)、『マレーシアにきて8年で子どもはどう変わったか』 (サウスイーストプレス)、『いいね! フェイスブック』(朝日新聞出版)ほか

(写真:すべて野本響子氏提供)