「笑点」の"山田くん"笑顔の裏にあった怒涛の人生 「ずうとるび」から座布団運びの38年間まで
「彼のファンがお弁当をたくさん差し入れするんですよ。僕が“3個くらいくれない?”って聞いたら“いいよ”って言ってくれたんですよね。“ステージで歌ってるところを見せて”って頼んだときも“いいよ、車に乗りな”って連れてってくれた。会場に行ったら、ファンが一斉に寄ってきて車をバンバン叩くんですよ。そのときに“次はアイドルになろう!”と思いました(笑)」
その後『笑点』内のコーナー『ちびっこ大喜利』に出演し、座布団10枚を獲得。ご褒美としてレコードを出してもらえることとなり、そこで結成されたのが『ずうとるび』だった。
離婚で「ゼロからのスタート」手を差し伸べた『笑点』
「当時はレギュラーが10本くらいあって、ブロマイドの売り上げも7か月連続1位。2位が西城秀樹さんで3位が郷ひろみさんでした。憧れの郷さんを抜いちゃったんです」
人気絶頂のグループで作詞・作曲やコント作りまで務めるリーダーとして活躍したが、メンバー間で次第に意見がぶつかるように。
「お笑い路線でやりたい僕と、アイドル路線でやりたいほかのメンバーとで分かれてしまったんです」
結果として、山田はグループを脱退。同時期に、プライベートでは結婚を迎えた。幸せなゴールインを果たした……かと思いきや、その後の人生をめぐって問題が。
「そのときの妻は裕福な家の女性で“引退して家業を継いでほしい”と言われたんです。でも“自分の居場所はやっぱり芸能界だ”と思い、別れを選びました。慰謝料などを払わなきゃいけなかったから、本当にゼロからのスタートになりましたね……」
人生のどん底を味わったが、そこに救いの手を差し伸べたのが『笑点』だった。
「本当は、ある有名な関取の方が6代目の座布団運びになる予定だったんです。ところが、その人が“俺は座布団運びなんかやらないよ”と断ったそうで、僕に声がかかったんです」
かつて『ずうとるび』を生み出した番組が、再び山田の人生に明かりを灯した。見せ場を作ってくれたのは、当時司会を務めていた5代目三遊亭圓楽さんだった。
「圓楽師匠が“山田くんを目立たせよう”と考えてくれました。林家こん平師匠に“山田くんの悪口を言いなさい。山田くんはそれを突き飛ばしなさい”って。それが、あのくだりの始まりなんですよ」