1989年春。北京の天安門広場から広がった中国の民主化デモは武力によって制圧され、あの6月3〜4日の惨劇へとつながっていく。しかし、東欧では共産政権が次々と倒れ、民主化革命が進行。91年末には、ついにソ連も崩壊する。
当時、自由な民主主義が最終的に勝利したと考える米国人は、『歴史の終わり』を著したフランシス・フクヤマ氏だけではなかった。資本主義でなければ自由な社会は成り立たず、自由な社会でなければ資本主義も成り立たない。中間層が経済的な自由を手にすれば、必ずや真の民主主義が訪れる──。これが、冷戦に勝利した西側諸国の常識だった。そして、政府が経済に介入する必要はないと考える米国流の新自由主義は、欧州の旧共産圏にまで広まっていく。
独りわが道を歩んでいるように見えたのが中国だ。キューバや北朝鮮のような小国を別にすれば、共産党支配が生き残った国は中国をおいてほかにない。だが、中国で生き残ったのは、実は共産主義でも何でもなかった。丸腰の学生や市民を虐殺してまで中国が守り抜いたもの。それは、鄧小平が掲げた国家資本主義にほかならない。
鄧小平は西側諸国で高い評価を受けていた。毛沢東による鎖国政策を解き、経済の門戸を世界に開いたからだ。「先に豊かになれる者から豊かになれ」。そんな先富論によって中国の資本主義に火をつけたのが鄧小平だった。
軍隊と戦車によってデモを鎮圧したのは、野蛮な行為には違いない。だが、中国共産党はこのような暴挙に出たからといって海外からの投資が止まるとは考えていなかった。ある党幹部が言っている。「利にさとい海外の資本家に、中国のような巨大市場を見限ることなどできようか」。
あれから程なく、中国経済は飛躍を遂げ、都市部のエリート層も巨大な恩恵にあずかった。いろいろな意味で、中国が過去を振り返ることはなかった。
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