「恐ろしい時代だった」。ルーマニアの婦人科医が1966〜90年を振り返って言う。独裁者チャウシェスクの下、人工妊娠中絶と避妊が全面的に禁止されていた時代のことだ。「女性にとってセックスは恐怖と苦痛以外の何物でもなかった」──。
米共和党の思惑どおりに事が進めば、米国の女性も遠からず同じような恐怖を味わうことになるかもしれない。米国ではジョージアやアラバマなど複数の州で中絶を全面禁止する法案の提出・可決が続いている。連邦最高裁判所の判事が保守派優勢になったことを受けて、73年のロー対ウェイド判決を覆そうとする動きが強まっているのだ。
憲法上、女性が中絶を受ける権利を保障した同判決が覆されれば、米国の社会は一変するに違いない。そう、チャウシェスク時代のルーマニアのように。
当時、ルーマニアの女性には毎月の婦人科検診が義務づけられ、子宮やベッドの中にまで政府が介入してきていた。性生活に対する当局の監視は、家畜の繁殖を行う畜産農家を思い起こさせた。
89年12月にチャウシェスク政権が崩壊すると、暫定政府は真っ先に中絶の禁止を解く。共産主義の功罪について議論が割れるテーマは少なくなかったが、望まない出産を強要することについては、社会に深刻な害を及ぼすとほとんどの国民が考えていたからだ。
中絶の禁止は出生率の向上をもたらさなかった。それどころか、67〜89年に法に反して行われた闇の中絶は730万件近くに上った。平均すると、出産年齢の女性1人当たり3件となる計算だ。闇中絶はリスクが高く、少なくとも1.5万人が死亡した。当時の幼児死亡率は欧州のどこよりも高く、他国の2〜59倍に達した。
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