1989年6月4日の天安門事件は、30年が経過した今も大きなインパクトを持っている。中でも、その重みをひしひしと感じ取っているのが香港だろう。
89年5月の中国では、ソ連のゴルバチョフ書記長の訪中が最大のイベントになるはずだった。崩壊の瀬戸際にあるソ連に対し、中国共産党は自らの統制力を誇示するつもりでいた。ところが予想外の光景が待ち受けていた。民主化デモが爆発的な広がりを見せていたのだ。学生に刺激され、北京市民の多くがデモに参加した。そして自由を求める運動はほかの地域にも飛び火していく。
その結果、何が起こったかはご存じのとおりだ。共産党指導部内で立場が弱まるのを恐れた守旧派が戦車を動員。人民解放軍によって丸腰の一般市民が虐殺された。共産党は「中国4000年の歴史」を継承する存在だと豪語しているが、とんでもない。偉大なる中国文明と共産党がまるで別物であることは、ほかでもない天安門事件がはっきりと示している。
中国共産党の黒歴史
考えてみるがいい。土地改革による地主の殺害、大躍進運動による大量餓死、文化大革命による数々の残虐行為。これらを引き起こしたのも、すべて共産党だった。
つまり共産党が天安門事件を人民の記憶から消し去ろうと血眼になるのも当然なのである。共産党にとって歴史とは、1党独裁を揺るがしかねない超弩級の爆弾だ。むろん、ここには毛沢東時代の恐怖政治も含まれている。
中国指導部は今、自らの政体を他国が見習うべき模範と喧伝している。だが自身の過去が知れ渡るのをこれほどまでに恐れている政権が、よくも世界をリードできるなどと言えたものだ。
かつては次のように信じる人々も少なくなかった。経済が豊かになり、世界的な地位が向上するにつれ、中国はゆっくりとではあっても必ずや言論の自由や法の支配といった国際的な価値体系を受け入れるようなるはずだ、と。
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