「葦(よし)の髄から天井をのぞく」という古諺(こげん)がある。葦はアシだ。“悪し”に通ずるので縁起を担いで、“良(よ)し”という対語で読むようになった。髄というのは茎のことで、小さな管になる。だからそこからのぞいても見える範囲は狭い。この古諺は「狭量、限られた識見」を意味する。
しかしこの頃、生業(なりわい)の歴史ものに関しては、かなりこの古諺が別の意味を持って私に迫ってくる。大げさに言えば、「地域あるいは地域の人物から天下(日本)の出来事を見る」ということになる。また、そう見たほうが、歴史上の事件の真実を理解できる例が多くなった。「葦の髄」は地方の歴史であり、「天井」は中央の歴史なのだ。
ここのところラジオやテレビの仕事が多い。1月下旬には、浜名湖湖畔の市民会館で、4時間にわたり複数の共演者とラジオの特別番組で話をした。テーマはこの地方にかかわりのある、大河ドラマの主人公についてだ。
テレビのほうは歴史番組で、新撰組副長だった土方歳三の箱館(函館)における戦死の謎に関するものだった。いずれも一地域を舞台に、そこでの出来事から天下の出来事を類推する手法を取っている。バトルフィールド(局地戦)からウォー(戦争)全体を推し量るという考え方で、地域が場合によっては物のこともある。テレビの関係者(多くは若いプロデューサー)が探し出してきた歴史的遺品などを軸に、従来の通説に疑問を呈するのだ。
歴史には必然性と蓋然性があって、後者は前者にニベもなくはねつけられる時代もあったが、今はしだいに事柄によっては、「そんなこともあったかもしれない」と、許容度が高まっている気がする。
私が通説に対し最初に疑問を持ったのが、慶応3年11月15日の坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺事件だ。いまだに真犯人がよくわからない事件だが、通説では「二人は同志だった」ということになっている。二人とも土佐(高知県)の郷士で、土佐勤王党員であった、という意味では同志だ。「徳川幕府を解体して、もっと民意に添う政府を作るべきだ」という点でも一致している。
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