毎年山形県酒田市の本間家から、旧本邸、美術館などの年間行事計画の案内状が送られてくる。2月下旬から4月初旬にかけては、「本間家のおひなさま」と銘打った雛人形の展示が行われる。
高さ2メートル、幅2.7メートルの雛壇に、古今雛、相生雛(百歳雛)などと一緒に、硯(すずり)箱や小さな蛤(はまぐり)に花鳥を描いた貝合わせなどが並べられる。人形文化の高度な技術を堪能できる。
来年の大河ドラマに合わせて、西郷隆盛の書を含む維新史料も展示する、と添え書きがしてあった。字は筆まめな当主・万紀子さんのものだ。懐かしい。本間光丘について書いたことがあったので、以来いろいろと珍しい物を見せてもらっている。たしか上杉鷹山からの短い書信もあった。財政再建への協力を謝したものだったと記憶する。
隣の鶴岡市の大名・酒井家の財政再建には、正式な家臣になって努力した。鶴岡は武士のまち、酒田は商人のまちと私は勝手に性格づけているが、両市の連携には歴史がある。
私が物語にした光丘は義商といってよく、現在も残る防砂林を造って地域に貢献した。
また次のような話がある。
財政難に陥ったある大名家が借金を申し込んだ。使者に立ったのが家老だ。格好つけて馬に乗ってやってきた。態度も大きい。応対した光丘は大名家の再建計画と貸したカネの返済予定を聞いた。家老は「そんな細かいことは下に任せてあるので知らない」と答えた。光丘はあきれた。家老は「家老のわしがわざわざやってきたのだ。顔を立てて貸してくれ」と言った。光丘は辛抱強くこう告げた。「私は商人なので貸借勘定にはそろばんをはじきます。再建計画と返済予定に納得できなければ御用立てできません」。
「だから細かいことは任せてあるのでわからんと申しておる。家老のわしがこうして頭を下げておるのだ。それに免じて貸してくれ」「ではこうしましょう。ご家老様が仰る下の方をお寄越しください。そのほうが話が早いと存じます」。この言葉は光丘がそうとう我慢したうえでのものだ。腹の中では「何が家老だ、何が顔を立てろだ」と悪態をついている。
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