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芭蕉はなぜ近江商人の恩人なのか 不便な土地にこそニーズが埋もれている

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愛知県の犬山商工会議所から「歴史に見る激動期の経営者」という話を頼まれた。法人会の協賛で一般市民にも公開したいという。

こういう差し迫ったテーマの場合、私は幕末の経世家である山田方谷の説に従うことにしている。方谷の説とは、「財に苦しむときは財の外に立て」(意訳)ということで、財の渦の中でもがくときは、いったんその渦から脱して岸辺に立ち、問題を鳥の目で見直してみようという論だ。それには問題を見る“目”の確立がいる。私はこの目、問題を考える物差しを近江商人の“三方よし”に置いた。自分(自企業)よし、相手(客)よし、世間(社会)よし、の三者得利の考えだ。

もともと近江商人はインフラの行き届いた東海道筋にマーケットを期待しない。山や谷の多い中山道に行商する。不便な土地にこそニーズが多く埋もれていると考えるからだ。そしてそのニーズの把握(マーケティング)は旅の専門家に依拠する。たとえば俳聖松尾芭蕉などだ。“奥の細道”から戻ってきた芭蕉を迎えて、句心(くごころ)のある商人たちが歓迎の句会を開く。句会の後は宴会になる。

酒が回った頃、誰かが聞く。「芭蕉先生、出羽(山形県)のほうでは、暮らしのうえでどんな品物が不足しておりましたか?」。芭蕉は答える。「さよう、まず木綿。それに茶、みかん、ろうそくでしょうかな。これは出羽に限らず、奥羽全般にいえることです」。奥の細道の行く先々で芭蕉の世話をしたのは、多くは句心のある現地の商人たちだ。現地は現地で商人たちが酒宴の席でそういう話をした。だから芭蕉の巧まずして行ったマーケティングには確実性がある。勝海舟の座談集『氷川清話』に「俺のところによく来る大塚という近江商人が、われわれの恩人は芭蕉先生ですという」という一文がある。

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