エンハーツ誕生の舞台裏
――20年に発売したエンハーツの売上高が今年度にも1兆円の大台に乗る見通しです。世界に先行して、第一三共がADC技術を使った抗がん剤の開発に成功したのはなぜですか。
最大の要因は、抗がん剤「トポイソメラーゼⅠ阻害剤」のADC化に初めて成功したことだろう。今思い返してみると、当社にはADCを研究するうえでのバックグラウンドがあった。
(第一三共の前身である)旧・第一製薬は「DX-8951」という開発コードでトポイソメラーゼI阻害剤の開発を進めていた。ただこの抗がん剤を直接投与しても、うまく乳がんに届かず、副作用の問題もあった。ベネフィットがリスクを上回らないということで、結局のところ承認には至らなかった(編集部注・第3相治験の段階で開発中止)。
一方、旧・三共では私の元上司である我妻利紀(前・研究開発本部長、24年に急逝)の提案で、00年代から抗体技術を使った抗がん剤の研究をしていた。複数の研究テーマを走らせていたが、ADCはやっていなかった。
05年に両社が合併した際、我妻が「ADCをやろう」と会社に提案した。ADCは、抗体とペイロード(抗がん剤成分)を化学的に合成し、がん細胞まで薬物を運ぶことができる。第一製薬、三共の蓄積してきた研究成果を生かし、独自のADCの技術開発をしようという構想だった。
合併当初、社内では(合併に対して)さまざまな意見があったが、10年に発足したADCのワーキンググループには両社から部署を超えて優秀な研究者が集まり、侃々諤々の議論を重ねていた。私はグループの研究チームリーダーを務め、我妻と「これがうまくいったら、まさに合併による賜物だね」と話したものだ。
こうして2年かけて、エンハーツやダトロウェイの技術プラットフォームである「DXd‐ADC」を確立することができた。
――2年というのは、創薬の時間軸として短いですね。
短い。初めからかなりの人数が投入され、専門性の高いメンバーばかりだったので、実験がどんどん進んだ。本当に濃密な2年間だった。
ブレイクスルーとなったのは、抗体1つ当たり最大8個の薬物を結合できたこと。それまで誰も確立できていなかったが、われわれの高い合成技術で成し遂げることができた。
アメリカで開催されたADCの国際学会でこれを私がプレゼンしたときのことは、よく覚えている。「何これ?」「いったいどうやったら8個も結合させることができるの?」と驚きを持って受け止められた。(当時の第一三共はがんやADCの領域で知られていなかったので)「第一三共って何者なんだ」と。
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