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ビジネス #第一三共 「抗がん剤帝国」への苦闘

第一三共の研究開発トップが明かす"がんで世界トップ5"への自信の根拠 「ADCの先駆者は私たち。追う側には回らない」

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「抗がん剤メーカー世界トップ5入り」を目指す第一三共。研究開発本部長の阿部有生氏は、その達成に向けて「強い自信を持っている」と語った(撮影:今井康一)

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2035年までに「抗がん剤メーカー世界トップ5入り」を目指すと宣言した第一三共。独自のADC(抗体薬物複合体)技術を使った抗がん剤の研究開発へ、30年度までに約2.9億円を投じる計画だ(詳細はこちら)。
主力の抗がん剤「エンハーツ」が強みを持つ乳がん領域に加え、患者数が多い肺がん領域でも市場をリードしていく。今年後半以降は、新製品「ダトロウェイ」の大型化を占う、肺がんの1次治療の第3相臨床試験(人に薬を投与する試験)の結果が出てくる。ほかの開発品を含めると20以上もの第3相試験が走っており、まさに正念場だ。
もっとも、ADCの開発競争は激化する一方だ。第一三共は優位性を維持することができるのか。エンハーツの研究に初期から携わってきた、研究開発本部長の阿部有生氏に話を聞いた。

エンハーツ誕生の舞台裏

――20年に発売したエンハーツの売上高が今年度にも1兆円の大台に乗る見通しです。世界に先行して、第一三共がADC技術を使った抗がん剤の開発に成功したのはなぜですか。

最大の要因は、抗がん剤「トポイソメラーゼⅠ阻害剤」のADC化に初めて成功したことだろう。今思い返してみると、当社にはADCを研究するうえでのバックグラウンドがあった。

(第一三共の前身である)旧・第一製薬は「DX-8951」という開発コードでトポイソメラーゼI阻害剤の開発を進めていた。ただこの抗がん剤を直接投与しても、うまく乳がんに届かず、副作用の問題もあった。ベネフィットがリスクを上回らないということで、結局のところ承認には至らなかった(編集部注・第3相治験の段階で開発中止)。

阿部有生(あべ・ゆうき)/東京大学大学院農学生命科学専攻修士課程修了後、1996年に旧・三共に入社。循環器や疼痛領域の探索研究に取り組み、2004年に博士号取得(農学)。07年からハーバード大学へ研究留学。帰国後、10年に抗体医薬研究所に異動し、故・我妻利紀氏が率いるADCワーキンググループの研究チームリーダー就任。19年から研究開発本部オンコロジー第二研究所長。24年に執行役員研究開発本部研究イノベーション企画部長。26年より現職(撮影:今井康一)

一方、旧・三共では私の元上司である我妻利紀(前・研究開発本部長、24年に急逝)の提案で、00年代から抗体技術を使った抗がん剤の研究をしていた。複数の研究テーマを走らせていたが、ADCはやっていなかった。

05年に両社が合併した際、我妻が「ADCをやろう」と会社に提案した。ADCは、抗体とペイロード(抗がん剤成分)を化学的に合成し、がん細胞まで薬物を運ぶことができる。第一製薬、三共の蓄積してきた研究成果を生かし、独自のADCの技術開発をしようという構想だった。

合併当初、社内では(合併に対して)さまざまな意見があったが、10年に発足したADCのワーキンググループには両社から部署を超えて優秀な研究者が集まり、侃々諤々の議論を重ねていた。私はグループの研究チームリーダーを務め、我妻と「これがうまくいったら、まさに合併による賜物だね」と話したものだ。

こうして2年かけて、エンハーツやダトロウェイの技術プラットフォームである「DXd‐ADC」を確立することができた。

――2年というのは、創薬の時間軸として短いですね。

短い。初めからかなりの人数が投入され、専門性の高いメンバーばかりだったので、実験がどんどん進んだ。本当に濃密な2年間だった。

ブレイクスルーとなったのは、抗体1つ当たり最大8個の薬物を結合できたこと。それまで誰も確立できていなかったが、われわれの高い合成技術で成し遂げることができた。

アメリカで開催されたADCの国際学会でこれを私がプレゼンしたときのことは、よく覚えている。「何これ?」「いったいどうやったら8個も結合させることができるの?」と驚きを持って受け止められた。(当時の第一三共はがんやADCの領域で知られていなかったので)「第一三共って何者なんだ」と。

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