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地方創生は新しい名産品で 地域ごとの歴史認識

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お盆や年の暮れに故郷に帰省する人は、“国”に帰りますと言う。日本国に帰るという意味ではない。「薩摩に帰ります」とか「越後に帰ります」という。大化の改新後、律令によって日本の国は壱岐對島を含めて68カ国に分類され、それぞれ国名がつけられた。薩摩や越後はそのときの国名だ。それぞれの国には守(かみ)が置かれ、その下に介や丞などが置かれた。

中世になると源頼朝が弟の義経を捕らえるために、守護とか地頭などを置いてやがて税の課徴にまで手を伸ばした。室町期に“下克上”の風潮が起こり、守護職も守護代や地域豪族に奪われてしまう。戦国時代を経て関ケ原・大坂の役を経験した後、徳川家康の日本国平和経営の方針の下、地域大名は幕府によって統制される。

しかしこの中央集権はいわばザル統制であって、綿密なものではない。財政的には今の言葉を使えば“十割自治”だ。つまり領地内における年貢(主税としてのコメ)の課税率や徴収方法などは、藩(大名家)の主体性を重んじる。雑税(コメ以外に課税する税目)の選択も藩に任せる。

その代わり、藩がいかに赤字を生じ財政難に陥ろうとも、幕府(中央政府)は補助金や地方交付税などによる援助は行わない。「自分で始末しろ」と突き放す。例外(貸付金)はあるが、これが十割自治の実態だ。

いきおい各藩は、領内の生産品に付加価値を加えて市場価値を高める努力に精力を注ぐ。藩は現在の商社的性格を持たざるをえない。ところが江戸時代の国学といっていい儒教の影響によって、賎商賎銭の思想が一般化している。特に武士は“武士は食わねど高楊枝”という、やせ我慢と負け惜しみの思想に毒されている。この意識改革は容易ではない。

江戸時代の名改革者といわれる大名や改革担当者の最大の苦労は、部下(藩士)の意識改革にあった。その成否が改革の成否を左右した。米沢藩の上杉鷹山や熊本藩の細川重賢らが名君と呼ばれるのは、この意識改革と人材育成のための教育と研修に成功したためだ。

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