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“あづち"は“あゆち"か ユートピアを目指した三英傑

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愛知県など中部地方の自治体が連携する広域エリアで、「地域の歴史と文化を生かすまちづくり」シンポジウムが行われた。基調講演を頼まれた。この地方についてはかねてから、“アイ・ホープ・ソー”(そうあってほしい)的願望を持っているので、臆面もなくその考えを披露した。

拠り所は『万葉集』に詠まれた“あゆち”の伝承だ。海から吹いてくる幸福の風をあゆちといい、この風が日本の中部である尾張国(愛知県)に上陸する。愛知県の県名の由来にもなっているという。愛知県は律令制における三河国との合併県だから、尾張国の伝承をそのまま三河国にまで及ぼすのはやや無理があるが、私はこの伝承を、もっと広域に通用するユートピア思想と受け止めている。

徳川家康の九男・義直が尾張藩主に任ぜられ、天下普請で名古屋城を築いたとき、義直はこの城に“蓬左(ほうさ)城”という別名をつけた。

「蓬莱(ほうらい)宮の左側にある城」という意味だ。蓬莱宮とは熱田神宮のことで、蓬莱は古代中国の伝承に由来し、東海の仙人(不老不死の人)の住む島の山を指す。義直は漢学に詳しく明からの亡命学者を政策のブレーンにしている。やがて日本化する菓子・薬やカラクリ人形などは、大陸からもたらされた物だろう。義直の蓬莱への関心はおそらく「自分の治政でこの国を理想郷にしたい」という、素朴な理念の表明に違いない。

そしてこの治国理念は義直が最初ではなく、織田信長に端を発している。戦国時代の民衆は地方人と日本国民の二つの人格を持っていた。大名や豪族によって、地方人へのニーズ対応はかなり綿密に行われていたが、国民へのそれ(国政)はほとんど皆無だった。つまり国政不在だった。信長はここに目をつけた。

「オレの手でこれを実現しよう」

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