「偉い人ほど腰が低い」というのは、日本に古くから伝わる俗諺だ。学問や徳行が深まるにつれて、その人は謙虚になるという意味で、そういう人は確かにたくさんいる。ところが中には、この俗諺を信じない人もいる。「本心じゃない、芝居だ」と疑い、見せかけのパフォーマンスと受け止めてしまう。
これに相当する俗諺でいちばん知られているのが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」であろう。私もそう信じてきた。しかしこの稿を書くためにもう一度『新潮国語辞典』で確かめてみた。「実る」の箇所には見当たらない。あったのが、タイトルにした「実乗る稲田は頭垂る」だ。ウーンと考え込んだ。つくづく、俺はものを知らねーな、と反省した。
世に普及している俗諺と意味は同じだ。しかし主体がまったく違う。
世に普及している諺の主体は1本の稲穂だ。辞典に出ている主体は稲田だ。前者は個体であり、後者は集団であり組織だ。もちろん組織の成員も個人だから、何もへ理屈をこねて執拗に深掘りする必要はないのだが、「組織と人間」は私の生涯テーマなので、「そんな難しいこと、言わないでヨ」と笑われても、引き下がるわけにはいかないのだ。
「実乗る稲田は頭垂る」という言葉が求めるのは、単数の奥ゆかしさではない。田んぼに実った稲全部の謙虚さだ。組織全員の謙虚さを求めているのであって、例外を認めない。「皆が頭を下げているのだから、俺一人くらいいいだろう」と、ズルをする稲穂の存在を求めないのだ。
となると、これは組織の管理につながり、成員のリーダーシップにもかかわりを持ってくる。
「実乗る」は単に利益を上げている、ということではない。組織の掲げる理念と、成員の気をそろえた社業実施が、社会的公器としてのその組織のCI(コーポレートアイデンティティ)にまで止揚されている、ということでもある。そしてそれが組織の評価として定着している、ということだ。
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