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"最後まであきらめない"は孤独との戦いだ 高校野球、リオ五輪選手と二宮金次郎の共通点

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“最後まであきらめない”というのが、ちょっとした流行語になった。スポーツ界で、その言葉を信条とする選手たちが、まさに土壇場で奇跡と言っていい逆転勝利を手にした。高校野球やリオデジャネイロのオリンピックのいくつかの種目で選手がこの言葉の効果を実証した。職場でこの言葉をつぶやきながら、なかなか日の目を見ない仕事にいそしむコツコツ組には、どれだけ励みになったかわからない。

二宮金次郎なら「天の理(運命)に対する人間の理(努力)の勝利だ」と言うだろう。金次郎は少年時代に、家の近くを流れる酒匂川の洪水で、田畑を含む財産の一切を失った。両親も死に幼い二人の弟を彼が養育しなければならなくなった。

叔父に雇われた彼は、水車小屋で米や豆をひく。そのうちに有名な“天の理と人間の理”を発見する。水車が回転するのは、水は低きに流れゆくという“天の理”によっている。しかしそれだけではない。なぜなら水車が天の理によるだけなら、そのまま下流に流れてしまうからだ。水車は流れずに設置された場にとどまり、回転を続けている。これには“人間の理”が働いているからだ。

水車の下半分は川の中につけて天の理に従わせる。しかし上半分は水上で人造の装置として活用する。これは水車を下流に流し去ろうとする、天の理に背くものだ。つまり人間の理は、時に天の理に背くこともあるのだ。

この考えは「稲と雑草」についても適用される。
・春に植えた稲は夏に大きく育つ。
・しかし育つのは稲だけではない。稲の脇に雑草も育っている。これは天の理による。天は稲も雑草も区別しない。生きとし生けるものを平等に生かすのが、天の理だからだ。
・しかし人間は雑草を引き抜いてしまう。稲の滋養分を雑草が横取りするからだ。雑草はそのまま枯死する。したがって雑草を引き抜くということは、雑草の生命を絶つということであり、明らかに“万物を平等に育てる”という天の理に反する。

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