「ロシアの怨念」がウクライナ事態を引き起こした ウクライナを襲った「コンプレックス」の正体

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プーチン大統領やスターリン、レーニンの顔が模写されたロシア名物のマトリョーシカ。旧ソ連の強権指導者の道を、プーチンも進んでしまうのか(写真・2022 Bloomberg Finance LP)
かつてのソビエト社会主義共和国連邦は、多民族を平等に包摂した連邦国家という建前だった。ソ連崩壊後に分裂し、それぞれの民族国家が誕生したが、旧ソ連の場所では民族問題が長らくくすぶり、時には爆発したことがある。日本を代表するマルクス研究者で神奈川大学副学長の的場昭弘氏は、今回のウクライナ事態にもつながる民族問題は「旧ソ連崩壊の遺産」と指摘し、歴史的文脈から説明する。

 

アゼルバイジャンの首都バクー市には、故ヘイダル・アリエフ前大統領(1923~2003年、現在のイルハム・アリエフ大統領の父)の名前を冠した巨大な博物館がある。中に入ると最初に、1918年3月31日にアルメニア人がアゼルバイジャンで行った虐殺の展示がある。人々はこの場で、隣国アルメニア人に対する憎悪を植え付けられる。

なぜ民族間の憎悪が存在するのか

西側ではトルコによるアルメニア人虐殺は知られているが、アルメニア人が犯した虐殺は知られていない。しかしアゼルバイジャンでは「アルメニア人こそ残酷な人々である」と教えられているのだ。この虐殺は1918年3月末から4月頭にかけて、すなわちロシア革命の混乱の最中に起きたものだ。

民族が独立するには、アイデンティティーが必要だ。そのためには、民族の悲劇の歴史が重要である。隣国による自国民への虐殺行為ほど、人々に憎しみを与えるものはない。この日を国民の喪の日にしたのは、ソ連から分離して政権を打ち立てたヘイダル・アリエフだ。この思い出は、アルメニア人に対してだけでなく、ボリシェビィキやロシア人に対する悪しきイメージを示すためにもある。

アルメニアには1915年から1920年にかけて起こった世界的にも知られているトルコによる虐殺があるが、1918年9月にはアゼルバイジャン人がアルメニアで虐殺を行った。つまり虐殺はお互いさまなのだが、それぞれの国ではこの2つの虐殺は都合よく利用されている。民族主義というものは、それほど偏狭なものなのだ。

しかし、ここではこの問題に深入りはしない。問題にしたいのは、なぜこの地域、すなわちコーカサス(ザカフカース)地域において、こうした民族間の憎悪が存在するのか、そして、それがこの地域の歴史的事情、とりわけソ連の問題と深く関係しているかについてだ。

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