女性たちが語る「日韓エンタメ」の決定的な違い 日本のドラマや音楽にはない要素は何なのか

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表現の豊かさについて、山下教授は「日本語に比べ、悪口がものすごく豊富なんですよ。韓国には、庶民の怒りを発散できるパンソリなど語りの文化が発達してきた歴史がある。子どもに語り聞かせる伝統があることに加え、受難の時代には逃げる際に情報交換をした。だから言葉の説得力が強いんです」と解説する。

韓国では、1961年12月にテレビ放送が始まった。「1960年代のうちにテレビ局が3社になり、毎日連続ドラマを放送し視聴者を釘付けにしよう、と毎日放送する日日連続ドラマが生まれました。1970年代までは軍事政権下で、規制が非常に強かった」(山下教授)。1980年代になると表現が自由になり、経済成長もあってドラマ黄金時代が訪れる。

1990年代に大人気ドラマが中国や台湾に売れ、「ドラマが商品になる」と発見されたことから、製作費を上げ輸出を狙うようになる。山下教授は「俳優に払うお金がバーンと高くなったのは、『冬ソナ』以降です。1998年に大統領になった金大中氏が日本文化開放政策を取ったところ、韓国文化がたくさんに日本へ出ていくことになった。軍事政権下の反省もあり、政府が口出ししないでお金だけ出すようになったので、どんどん作品が出せるようにもなりました」と説明する。

女性の描かれ方が変わったきっかけ

韓国ドラマが昔から、自立した女性を描いてきたわけではないと話す。「20世紀には、夫や姑に虐げられる女性もたくさん出てきます」という山下教授。

女性の地位の向上がドラマに反映されるのは、21世紀に入ってから。法曹界に女性が増えたことから、女性の弁護士や検事、判事が登場するようになる。フェミニズムドラマは1989年の『半分の失敗』、『愛のくびき』が最初で、以降いくつも作られていく。

変化の要因は、1980~1990年代に女性運動が活発だったことに加え、1995年に第4回世界女性会議(北京女性会議)に参加したことが契機になっている。

フェミニズム専門誌『エトセトラ』5号の記事、「韓国の女性たちが選ぶ〈両性平等メディア賞〉とは」によれば、会議で採択された「北京行動綱領」の1つ「女性とメディアの戦略目標」を受け、「韓国政府もメディアにおける男女平等に取り組まなければならないという空気になった」(山下教授)。そして1999年、日本の省に相当する女性家族部が「両性平等メディア賞」を創設する。

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