「廊下でたき火をする学校」で学んだこと

――桜丘中学校でさまざまな改革を実行されています。改革を進めるに当たり、どのような経験が役立ちましたか?

若い頃の経験ですね。2校目で大田区の中学校に赴任したんですが、その学校は荒れ放題。廊下で段ボールに火をつけ、たき火をする生徒がいたほどです。体罰や校内暴力は日常茶飯事でしたが、僕には教員が生徒をいじめているように映りました。子どもたちを力ずくで押さえつけるのは違うと感じ、自分のクラスや担当していた部活では、みんな自由にしてもらっていたんです。結果、このやり方がうまくいき、自信につながりました。「学校全体で取り入れられれば、もっといい方向へ進めるはず」。そう思い、職員会議で提案したものの、ベテランの先生方は誰一人として聞いてくれません。このことがきっかけとなり、「いつか校長になって、自分が理想とする学校をつくる」という強いモチベーションが生まれました。

――理想を実現するためには、教育委員会に入って全体を改革するという方法もありそうです。

僕は根っからの現場主義者。根本的に子どもが持っている魅力が好きで、一人でも多くの生徒の悩みを救ってあげたいと考えています。なので、現場を離れるという選択肢はありませんでした。しかし、校長になるための管理職試験は相当苦労しましたね。論文は得意でしたが、面接で本音をぶつけすぎたのか、4回連続で落ちてしまい……。それを知った周りの教員たちが心配し、面接対策をしてくれたおかげもあって、なんとか試験をパスできました(笑)。「校長になって夢をかなえる」という思いを持ち続けたからこそ、多少のことではくじけず、リーダーとしての道を歩むことができたと思っています。

現場の教員に、教育学の知識が不足している

――校長時代に教員とのコミュニケーションで苦労した点はありますか?

大半の教員にいえることですが、教育学の知識が不足している気がします。そのために話が通じづらいと感じる場面がありました。僕が教職課程を履修していたときは、ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』上・中・下3巻セットに始まり、ジョン・デューイ、ルドルフ・シュタイナーなどの本をひたすら読み、基礎知識を得ていました。勉強は大切ですよ。

これは誰にでも当てはまる話ですが、人間は自分の経験からしか学べません。教員の場合、学生時代に習った教育法以外を知らないために、いざというときに慌てふためいてしまうんです。最近では、コロナ禍で急きょリモート授業を行わなければならないシチュエーションなどで慌てた学校も多かったですよね。

2020年3月、桜丘中学校での終業式。この日に「卒業」となる西郷校長の手には生徒からもらった多くの手紙。校長という立場でも、生徒との距離はとても近い(撮影:浅野剛)

――校長として教員や生徒と接する際、何を意識していましたか?

気をつけているのは、口先だけではなく実際にやってみせることです。海外で、日本人が「NATO(=No Action, Talk Only)」と揶揄(やゆ)されているのはご存じでしょうか。日本人は話をするばかりで、行動しないという印象を持たれているのでしょう。僕は生徒指導・保護者会・授業など、あらゆる場面で、とにかく行動に移してきました。そうすることで「西郷先生にはかなわない」となり、みんな文句を言わなくなります。

ここでひとつ僕のエピソードを紹介しましょう。昔、英語教員に「校長先生は英語ができないくせに」と言われて頭にきたことがありました。生徒たちが定期的に英検を受けていたので、それなら僕も一緒に受けようと思い立ち、通勤時間にYouTubeなどのアプリを駆使して必死に勉強。その結果、5年かけて英検1級に合格できたんです。さすがに英語教員は何も言わなくなりました。余談ですが、英検の勉強を通じて、スマートフォンのすごさを体感しました。「教員だけでなく、生徒も勉強に取り入れないと損だな」と思いましたね。

子どもたちは教員の“人間力”を見ている

――現場の若手教員たちに身に付けてほしいスキルは何でしょうか?

若手教員に必要なのは、授業力よりも“人間力”。「まず自分を磨きなさい」と、声を大にして伝えたいです。子どもたちは好きな先生の授業なら、どんなに下手でも一生懸命聞いてくれます。逆に、どんなに授業がうまくても、それだけでは好きになってもらえません。

また、子どもたちは驚くほど“空気感”に敏感です。幸福感や緊張感など、その時々の教員の気持ちはダイレクトに伝わってしまいます。でもそれは悪いことじゃない。僕は子どもたちを上から管理したり、子どもは教員より劣っているものだと決めつけたりすることなく、一人の人間として対等に向き合うようにしてきました。自分の生き様をみんなに見せ、信頼関係を築き、ともに悩みながら教員生活を送ってきたんです。

面白いことに1クラス約40人の中には、必ず1人か2人、僕より「人として上だな」と感じる生徒がいるんです。そのような子たちから、僕は多くのことを教わってきました。教員の皆さんも、生徒に教えるだけでなく、教わることのできる人間関係を築いてもらえたらと思います。

えこひいきと言われても気にしないでほしい

――コロナの影響もあり、学校のあり方が変化してきているように思います。今求められているのは、どんなことだと考えますか?

もはや学校は、知識や情報を注入、伝達する場所であってはならないと思っています。今後ICT環境が整備されることで、AIがメインとなって“個別最適化された学び”を生徒たちに与えることになるはずです。それを踏まえて学校が果たすべき役割は、リアルの場でしかできない学びを提供することです。リモートだとなかなかうまくできないと感じるのは、個人と集団の対話。例えば個人のやりたいこととクラス全体のやりたいことを、どうやって折り合いをつけていくか、グループで考えるワークなどです。

西郷孝彦(さいごう・たかひこ)
1954 年横浜生まれ。上智大学理工学部を卒業後、1979年より都立の養護学校(現:特別支援学校)をはじめ、大田区や品川区、世田谷区で数学と理科の教員、教頭を歴任。 2010年、世田谷区立桜丘中学校長に就任し、生徒の発達特性に応じたインクルーシブ教育を取り入れ、校則や定期テスト等の廃止、個性を伸ばす教育を推進した。著書に『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』(小学館)、『「過干渉」をやめたら子どもは伸びる』(小学館)など

最近日本では、個人の幸せが忘れ去られているように感じます。個人よりも、全体のためを考えて生きなさいと言われているような気がしてなりません。でもそうじゃない。個人の幸せが実現しないと、全体は幸せになれないんです。教育現場でも、教員はマイノリティーを決して切り捨ててはいけません。周りからえこひいきと言われても気にしないでください。一人の生徒に焦点を当て、とことん尽くすことによって、生徒全体が見えてくるからです。その子が抱えている悩みは、クラスや学年全体の悩みでもあります。その悩みが解決することで、どんな子でも楽しく過ごせる学校がつくられるんです。

――校長先生や教育委員会など、リーダーとして活躍されている方々へメッセージをお願いします。

マネジメントの父と呼ばれるピーター・F・ドラッカーの言葉「何によって覚えられたいか」、つまり「自分は何者で、どのように記憶されたいか」ということをつねに念頭に置いてほしいですね。前例主義になっていないか、他の人と同じでいいのか、と自身に問いかけ続けてほしいんです。僕は、自分の使命である「理想の学校を実現すること」に全力を注いできました。それが結果として、学校の果たすべき役割とつながり、子どもたちが生き生きと輝く学校をつくり上げることができたと思っています。

(注記のない写真は今井康一撮影)