読解力とは、問題解決のプロセスそのもの

「読解力が低下したと聞くと、多くの方は国語の教科書に載っているような文学作品を読む読解力が落ちたと考えるのではないでしょうか。しかし、PISA2018で問われた読解力は、従来考えられてきたものとは異なるものなのです」と語るのは東京学芸大学教育学部の高橋純准教授だ。

PISA2018の読解力を問う出題の1つが、ある大学教授のブログだった。ブログには著者の体験や経歴に加え、イースター島のモアイ像に関する話や本の話など、さまざまな情報が盛り込まれている。それを読んで、問いに答えなくてはならない。

「問題を解くには、①雑多な情報の中から必要な情報を探し出す②情報を理解する③熟考するというプロセスが必要となります。つまり、この一連のプロセスこそがPISA2018で問われた読解力なのです。この①②③のプロセスごとの各国の順位も明らかになっていて、日本は①が18位、②が13位、③が19位という結果となりました」

この結果は読解力の定義が変化したことと無関係ではないようだ。では、なぜPISA2018ではこうした読解力とそのプロセスが重要視されるようになったのだろうか。

「受験者をふるいにかける入学試験と違って、PISAは学習到達度を測るもの。ですから、世の中の変化やニーズを受けて試験の内容が大きくリフォームされたのです。今、世界は異常なスピードで超情報化社会に変化しており、求められる学力や資質・能力が変わってきています。その中で問われた読解力の①課題を持って情報を集め②それを理解し③評価して熟考するというプロセスは、実は問題解決のプロセスそのものなのです」

つまり今、世界で求められている読解力とは問題を解決する力とも言い換えられるだろう。その重要性を言い当てているのが、小学校ではこの4月から導入された新学習指導要領だ。

具体的には、「言語能力、情報活用能力(情報モラルを含む)、問題発見・解決能力等の学習の基盤となる資質・能力を育成していくことができるよう、各教科等の特質を生かし、教科等横断的な視点から、教育課程の編成を図るものとする」とある。

「つまり」と高橋氏は続ける。「問題解決能力は言語能力や情報活用能力とともに教科の枠を超えたすべての基盤となるのです」。

空欄を埋める力から気づいて行動する力へ

GIGAスクール構想によってICT環境の整備が促されているが、これも問題解決能力の育成と無縁ではない。

「問題解決のプロセスは、①情報収集②情報の整理・分析③判断・行動と言い換えることができます。このプロセスそのものは昔も今も変わりません。しかし、その手段が大きく変化しているのです。情報収集をする際、昔は紙のアンケートや手書きメモなどを使いましたが、今、世の中ではセンサーやカメラ(動画)、IoTなどから膨大な情報を集めることができます。グラフや表を使っていた情報の整理・分析も、膨大な情報量をAIやAR(拡張現実)などのテクノロジーを使って整理・分析するようになっています。そして、判断・行動も、コンピューターを使って柔軟、即時、動的に行うようになっています」

このように、今は問題解決のプロセスすべてにICTが使われているうえ、そのプロセスを協働で行われているのが大きな特徴だ。

「パソコンを使って情報を収集し、整理・分析し、判断して行動する。そのためには、トレーニングが必要です。これは学力観の変化としての要請だけではなく、社会から要請されている能力なのです」

こうした中、児童生徒と向き合う教員は、何を意識すべきなのだろうか。

「新学習指導要領では、生涯学び続ける力を育むことが挙げられています。それは、教師や保護者がいなくなっても勉強を続けられる力ということなのです」

高橋氏がこんな例を挙げる。例えば、元寇(げんこう)を学ぶ授業。これまでは、教員が「日本と元の戦い方の違いを表で理解しよう」と表を作って見せ、児童生徒が表の空欄を埋めるのが王道だった。しかし、これからは児童生徒が自ら「この違いを把握するにはどうすればいいのか?」と考え、「表を作って比べてみよう」と気づいて行動に移せるような教育が求められるという。

「PISA2018で求められたのも、こうした能力です。これまでの日本の教育は『何を知っているか』、つまりコンテンツが中心でした。もちろんこれも大切なのですが、これからは『なぜそうなったのか』『どうすればいいのか』に気づくコンピテンシーも重要になります」

考えを伝えることで「知識の理解の質」が高まる

新学習指導要領で掲げられているのも、「コンテンツベースからコンピテンシーベースへ」というコンセプトだ。しかし、これは「教育に関わる私たちにとっての挑戦」だと高橋氏は語る。その理由を説明するために、こんな設問を口にした。

「バナナとリンゴを比べたら何がわかりますか?」

いきなりそう問われると、戸惑うのではないだろうか。

「この問題に対し、多くの人は『形が違う』『色が違う』など、違いを挙げるでしょう。しかし、バナナとリンゴを比べることは何も違いを探すことだけではなく、同じところや似たところを見つけることでもあります。さまざまな観点から物事を比較できれば、そこからまた新たな観点を生むことができるのです」

「リンゴとバナナを比較して」と言われたら、どのように答えるだろうか

とはいえ、「比較」については学習指導要領のさまざまな教科に書かれている。例えば、小学校1年生では、算数の「数と計算」や「測定」のほか、国語や生活でも「比較」について言及されている。国語と算数は小学校1年生から6年生まで、6年間にわたって「比較」に言及されているのだ。ほかにも小学校3年生の理科を見ても「物と重さ」をはじめとして、すべての内容で比較に言及。中学校でも似た傾向がみられ、小中学校で「比較」を学ぶ機会は少なくなかったはず。

「しかし、これまでの教育では先生や教科書が先に観点を与えてしまっていました。例えば『2本の鉛筆の長さを比較しよう』といった具合に。すると、子どもは長さ以外に、比較する観点を持ちにくくなります。ですが、いろいろな観点から比較できれば、情報を関連づけたり、整理したり、問題を見つけられるでしょう」

自分の観点を持ち、情報収集し、判断し、新たな課題を見つける。こうした問題解決の能力に加えて重要なのが、「知識の理解の質」だという。

「例えば、垂直と直角の違いを説明する際、問われるのは知識を理解している質です。知識をより深く理解するにはただ考えるだけではなく、他人に説明するという活動が大切です。さらに、知識を点で増やすだけではなく、点と点を線で結んでネットワーク化し、リンク(活用手段)を増やすこと。これが欠かせません」

ドリルや講義動画といったコンテンツの学びは、知識を点で増やすことともいえる。一方、議論や発話、体験などは点や線を増やし、構造化していくコンピテンシーの学びだ。

「もちろんコンテンツの学びも重要ですが、点を結ぶ線が太くなり、構造化することができれば『知識の理解の質』が高まるのです。しかも、こうした学びは学校を卒業した後も続けなければなりません。そこでも、言語能力や情報活用能力、問題発見・解決能力といった資質・能力が必要なのです」

変化のスピードがますます速くなり、社会のあり方も短期間で大きく変わる。その傾向は今後さらに加速するだろう。未来を生き抜くために、子どもたちが身に付けるべき資質・能力とそのために何をすべきか。「読解力」の真の意味を、今こそ理解しておく必要があるといえるだろう。

高橋純
東京学芸大学 教育学部 准教授。博士(工学)。富山大学大学院理工学研究科後期課程修了後、富山大学准教授などを経て現職。独立行政法人教職員支援機構客員フェロー。中央教育審議会臨時委員(2019年〜)、文部科学省「教育の情報化に関する手引」(2019年)などを歴任。

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