ムハンマド皇太子は一体何を狙っているのか 異変の最初の兆候は1通の書簡だった
だが、ムハンマド皇太子は粛清の対象を注意深く選別している、と米国在住のカショーギ氏は指摘する。
「MbSは自国を愛するナショナリストであり、自国を最強にしたいと考えているが、彼の問題は、自分1人で統治したいと考えている点だ」とカショーギ氏は言う。
事実上の支配者
ムハンマド皇太子は、サルマン国王が即位した2015年、国防大臣に任命された。サルマン国王は6月、治安機関を長年率いてきたおいのムハンマド・ビン・ナエフ氏に代わり、息子のムハンマド・ビン・サルマン氏を皇太子に昇格させた。王族はこれを黙認し、皇太子は9月までに自身と対立する宗教家や知識人らを検挙している。
今回の拘束は、ムハンマド皇太子による改革推進を狙ったものだ。この改革は、1930年代に現サウジアラビア王国を樹立したアブドルアジーズ国王の治世以来最大のものになると約束されている。
サウジ国家は、王族のサウード家と同国発祥の厳格なイスラム主義を統制するワッハーブ派聖職者との長年の共存を基盤としてきた。
王家はサウジアラビア国民に快適な生活と豊富な石油収入の分け前を約束してきた。それと引き換えに、臣民たちは政治的に服従し、国家の厳格な宗教的、社会的な規範に従うことを約束した。
「イブン・サウード」の名でも知られるアブドルアジーズ初代サウジ国王は1953年に死去。それ以降も国王がこの国統治しており、その下には複数の王子たちがいるが、他の王子たちの希望に逆らってまで自らの意志を押し通すほどの力を持った王子はこれまでいなかった。
意志決定はもっぱらコンセンサス重視で行われた。こうした仕組みによって社会や政治面での改革は遅々として進まなかった一方で、王国の安定は保たれてきた。
だが、自身を新たな「イブン・サウード」と位置付けようとする動きのなかで、ムハンマド皇太子は、人口増大と石油価格低迷という重圧で揺らいでいたこの国の統治構造を破壊しつつある。
コンセンサスによる意志決定は、批判派のいう「独裁」に取って代わられた。一部の王子たちはこれに反対しているが、表立って批判を口にするリスクを冒そうとはしない。
過去数十年にわたって、サウジの歴代国王は、1─2人の兄弟か息子、おいを側近として意見を申し入れさせ、共同して統治にあたっていた。だが、ムハンマド皇太子は、兄弟や近親者を要職に任命せず、代わりにアドバイザーたちに頼っている。彼らは主に自国出身者だが、なかには米国や英国で教育を受けた者もいる。
最終的な決定権を握っているのは、依然として82歳のサルマン国王だ。しかし、王国の軍事や治安、経済、外交、社会問題への対応はすでに太子に委ねられている。宮廷関係者は否定するが、ここ数カ月、国王が近くムハンマド皇太子に譲位するのではないかという憶測が流れている。