谷川:なるほど。ズレを認めてくれる先輩がいたおかげで、そういう選択肢もあるんだ、と気づかされたわけですね。
嶋:サッカーのチームの中で、お前らだけ変な動きをしているけど、それはそれで点数取れるかもしれないな、と。そういう風に、オルタナティヴに動ける、いわば「レールを外れる」ことができたのは、すごく幸せなことだったと思う。
谷川:今回の哲学ゼミも、小さな規模ではあるけど「レールを外れる」実践だったと思います。研修としては、どんなアウトプットになるか見えづらいことだったはずで、まさに「実験」だったと思います。
社会学、心理学ではなく哲学が求められる時代
嶋:気をつけたいのは、「レールを外れる」のは目的じゃなくて、「外れ方」が問題だということですね。別の見方を探すことは大切だけど、それによってたとえばサービスが生活者にとってどう役に立つとか、どういう本質的な価値があるのかという問いに向かわないといけない。今ある前提を問い直すことで、結果的に既存のレールを外れることができれば、一番いいんだろうなと。ここには、哲学的な見方が必要なんじゃないかと感じています。
谷川:嶋さんの言う「前提を問い直す」は、よく耳にしますが、よく耳にするからといって簡単なことではありませんよね。大抵の人は「前提を疑ったぜ、ふふん」「俺、メタに立っている」と誇っているだけで、さほど分析も俯瞰もうまくない。人は基本的に自力でメタ視点に立てないし、メタ視点に立ったからといって、行動や知覚に観察をフィードバックできるとも限らない。だから、優れた知識やセンスを学び続ける必要があるし、学んでいる人たちが仲間と語り合って、互いをチェックし合う必要があるんです。
うまく伝わるかわからないですが、人に知的な冷静さを与えてくれるのは、「メタ視点に立つこと」でも「前提を問い直すこと」でもなく、自分ができているつもりで、そういう俯瞰や分析が全然及んでいないという現実に直面させられることです。
異質な考え方や、時代や文化の違う人の思想に触れることは、ある種のショック療法に近い。学んだり対話したりすることを通じて「あれ、こういう見方はなかったな」「えっ、この精度で考えられるのか」と他者に驚かされることで、自分を顧みていく。哲学書という難しい本を読むのは、そういう驚きを得るためだと思います。それ自体がすごく楽しいわけじゃないけど、そこで悪戦苦闘することを通して、「バルコニーに立つ」楽しさをじんわり体感できる。
バルコニーに立つことは、自分が置かれた状況の中に留まりながら、状況から身を引き剥がすことです。人に俯瞰的な視点を提示する役割は、2010年代半ばまでの日本社会では、社会学が担っていたように思います。哲学や文学の出る幕はなかった。社会学の主要な説明の仕方の一つが、社会構造の中に位置づけるというものです。
個々人の思いや個性とは無関係に、ある社会全体で成立している慣習や規則性のことで、それはある程度変更しがたいものとして存在している。誰かの不安や苦しさが、その人がどう思っているかとは無関係に説明されてしまう。そのことの爽やかさというか、独特の納得感はあるはずですが、「私はどう生きれば……」という思いを持って社会学の一般書を読んだ人は戸惑うはずです。
嶋:なるほど。


※ログイン後、コメント入力が可能です。