谷川:これはつらいことでもあります。私たちはすでに与えられた条件の中に生まれてしまっているわけで、そんなこと言われてもな、と思うかもしれない。
哲学や文学の果たせる仕事
思想の言葉を使うと、「構造主義」という立場が与えてきた説明と社会構造からの説明は似ています。自分に先立って社会を秩序立てているシステムを解説し、それに位置づけることで説明する。この立場は、教科書的には、先行する「実存主義」という立場を乗り越えて生まれたと整理されます。実存主義は、個々人が自分の生をどう作っていくかという一人称視点で考え、世界に参与していくことを重視しています。「自分が誰であるかを選ぶのはお前なんだ」と。それに対して、構造主義は、「いやいや、選択するあなた自身が、知らぬ間にある構造の中に囚われています」と喝破したわけです。
現代は、乗り越えられたと思われた実存主義が、再び切実さを帯びている時代と言えるかもしれません。構造があることはわかった。でも、ある時代や社会にどうしようもなく組み込まれているとして、それでも替えのきかない「この私」の人生をどうすればいいのか。実存主義の代表的な思想家であるサルトルには、「実存は本質に先立つ」という言葉があります。
「本質」とは自分のあり方の「最適解」「正解」のようなものです。そんなものは探してもない中で、自分なりに人生を選んでいって、自分の実存を形作っていく。サルトルはそう語ったんですね。
20世紀後半は、疑問や迷いなく「陽気なロボット」でいられたけれども、21世紀は、誰もが多様な生き方を追求してよいという前提なので、会社の求める生き方と自分の求める生き方がズレても仕方がない。実際には、この感覚が友人関係にも家族関係にも入ってくる。迷いや疑いを抱えながら生きることがデフォルト化しているわけです。これが、実存主義が現代で大事になる理由だと思います。そこでは、状況をクリアに位置づけて説明する構造の言葉だけでは足りなくて、実存主義の言葉が必要になってくる。ここに、哲学や文学の果たせる仕事があるんだと思います。



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