幼い頃からそんな環境だったので、私にとって家は決して心が休まる場所ではなかった。父とできるだけ関わらないように、食べて、寝て、学校へ行く。それが私にとっての「家」だった。
周囲からの見え方は「勤勉に働く人」
思春期に入る頃には「自分の父親はアル中なんだ」と、なんとなく理解していた。しかし、上のきょうだいたちを含め、子どもだった私たちにはこの状況をどうすれば変えられるのかわからなかった。
優しい母のことは慕っていたため、私は母に何度か「なんで離婚しないの?」と聞いたことがある。すると決まって「だって、お金もそんなにないし。お父さんがいないと生活できなくなっちゃうから」という答えが返ってきた。
そんな父は、家族のことを愛していないわけではなかったと思う。日中の酒が入っていない場面では、ニコニコしながら私たちに話しかけてくる。もちろん、子ども側は父に辟易していたので、まともに返事をすることは少なかったのだが。
また、長年の飲酒でアルコールに耐性ができているせいか、父はどんなに深酒をしても翌日ケロッとした顔で仕事に出かけていった。周囲の大人から見れば、父は「勤勉に働く人」として映っていたかもしれない。
家族に暴力をふるう、外で警察沙汰になる、そんなシーンがあれば、幼い私も誰かに相談できたかもしれない。しかし、時折見せる「普通そうな父親」の顔があるからこそ、私は「父のことは絶対に他の人に知られてはいけない」と思っていた。
そんな私が初めて父のことを人に話したのは、中学生のときだった。
泥酔した父が深夜に大暴れし、翌日も学校があるのに私は午前3時頃まで眠れなかった。学校に行っても眠く、気分も重い。この日、私は初めて「父のことを誰かに聞いてほしい」と思った。そして当時よく一緒にいた女子グループの友人たちに、昨夜の出来事をぽつりぽつりと話してみた。
「大変だったね」「大丈夫?」。そんな言葉を期待していたのだと思う。しかし返ってきたのは「何それやばー!ドラマみたいじゃん……!」という、好奇心に満ちた反応だった。
キラキラと目を輝かせながら詳細を聞いてきた友人たちに悪意がなかったことは、今ならわかる。ただ、私が勇気を振り絞って出した小さなヘルプと、それを受け取る側の反応が、あまりにも違っていた。私はその瞬間、「もう父のことを人に話すのはやめよう」と決めた。


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