西岡壱誠(以下、西岡):「つなげる能力」ですね。『地頭力の正体』では、情報をそのまま記憶する「静的知識」と、それらを自在に結びつけ応用する「動的知識」の違いについて書きました。情報というのはそれぞれ点で存在している状態ですが、そのなかで「これとこれはもしかしたら何かつながりがあるかもしれない」というように見出していくことがAIにはできない動的な知性です。
ただ、つながりを見出すためには、学びへの本能的な喜びを持つ必要があるかもしれないとも思います。
堀田:そうですね。点と点は、ただあるだけじゃつながらない。つなげるための「酵素」が必要です。人生においてもそうなんです。例えば、西岡さんは、過去に大事な出会いがあって、自分の中の何かと何かが結びついて、「よし勉強しよう」となったんですよね? それまで点として存在したものを、ある日つなぐ何かが現れる。その瞬間に勉強もするようになるし、新しい知識も生まれる。
僕は昔から、その「酵素」に当たるものを探すのが好きなんです。どんな「酵素」があれば知識と知識がつながるのか。「酵素」をたくさん用意してあげるのが教育かもしれませんし、「酵素」に出会うための環境を作ってあげることが、周りの人間の役目かもしれません。
これからは知識の「幅」が武器になる
西岡:先日、「狭く深い知識」と「広く浅い知識」を持っている人はどちらが優秀か?という記事を書きました。最近は、幅広いネットワーク型のほうが重要だという話があります。関係ないと思っていたところからもつながりが生まれて、偶発的なことが起きる「セレンディピティ」なんていう言葉も流行りました。これからは、「幅」の時代なのかもしれないと思うんです。
堀田:知識の幅が広いほど思わぬ組み合わせが生まれますからね。
西岡:これからの時代は、食わず嫌いじゃダメなのかなとも思っています。こんなもの一生使わないだろうと思っていたことも、勉強してみると、案外使えることがあります。古文や漢文より、パソコンの勉強だけをしたほうがいいなんてことも言われますが、実は、古文や漢文の勉強にも意味があるんだよな、と。



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