有料会員登録
ライフ #おとなたちには、わからない

"父親そっくり"と言われた私が、養子? 産科医が出生証明書を偽造「赤ちゃんあっせん事件」当事者女性の今も消えない疑問

8分で読める
晃子さんと父親
父親に抱っこされて喜ぶ幼い頃の晃子さん。父親はめったに家に帰ってこなかった(写真:晃子さん提供)
  • 大塚 玲子 ノンフィクションライター
2/6 PAGES
3/6 PAGES

自身が菊田医師の産院で生まれたことは、小さい頃から知っていました。建物の前を通ったとき、母親が「ここで生まれたんだよ」と話していましたし、母子手帳にも産院の名前が書かれていたからです。

晃子さんは自分の母子手帳を幼い頃から目にしていたという(写真:北村笑店/PIXTA)※写真はイメージ

冗談のつもりで言っていたが…

菊田氏が行っていたことを知ったのは、大学に進学し、地元を離れていた頃でした。養子あっせん行為について、菊田氏は晃子さんが生まれる前の1973年には新聞取材で公にしていたのですが、彼女がその情報に触れたのはだいぶ後でした。たしか、テレビ番組がきっかけだったと記憶しています。

ただ、晃子さんは菊田氏の養子あっせんを知っても、自分がその1人だとは思えませんでした。

「私、あそこ(菊田氏の産院)でもらわれてきたんだよね」などと言っていたのは、「冗談にして、自分を落ち着かせるため」だったといいます。

就職活動中にSPI問題集で、両親の血液型から晃子さんの型は生まれないことを知ったときも、半信半疑でした。何人か詳しい人に相談したところ、「絶対に生まれない」という人もいれば、「まれに生まれる」という人もいたからです。

やはり、自分は養子らしい――。いよいよそう考えざるをえなくなったのは、今から4年ほど前、亡くなった母親の初盆を迎えたときでした。親しい人から、はっきりと言われたのです。

あとからわかったことですが、昔から近所の人たちは知っていたようです。母親が菊田医師の産院へ行くときに使ったタクシーの運転手が、「行きはお腹が大きくなかったのに、帰りには子どもを抱いていた」と近所の保険外交員に話し、その人から話が広まっていたのです。

4/6 PAGES
5/6 PAGES
6/6 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数