2026年8月29、30日の両日、日本アマチュア無線連盟(JARL)が主催する国内最大のアマチュア無線イベント「ハムフェア2026」が、東京・有明で開催された。26年のテーマは「好奇心のアンテナを立てよう」。今年はJARL創立100周年という節目でもある。
開会式で田所嘉徳・復興副大臣は、アマチュア無線について「災害時に助け合うツール」であると同時に、「科学技術立国で高度な技術をわかる人たちを輩出する」世界として、その役割に期待を示した。
スマートフォンで地球の裏側とも簡単につながれる現在、アマチュア無線は単なる懐古的な趣味の一つに見えるかもしれない。しかし26年、インターネット通信が制限された中東地域に向けて、NHKの中東向け国際短波放送が24時間化された。また、8月に筆者が千葉豪雨に遭遇した際にも、アマチュア無線は情報収集の一つとして役立った。
さらに重要なのは、戦後の日本が科学技術立国へと歩んでいく過程で、アマチュア無線が技術者や技術者を志す若者の裾野を広げる役割も果たしてきたことだ。
その「科学技術立国日本」がいま、曲がり角にある。かつての電子立国を支えたものは、優れた企業や製品だけだったのだろうか。
100年にわたるアマチュア無線の歴史を振り返ると、現在の日本がもう一度技術立国を目指すうえで、忘れてはならない戦後の原動力が見えてくる。それは、技術そのもの以上に、技術を生み出す人間の「好奇心」だったのではないだろうか。
焼け野原から再出発したアマチュア無線
日本アマチュア無線連盟(JARL)は1926年に設立された。前年の25年には国際アマチュア無線連合(IARU)が設立されている。日本で初のアマチュア無線局が誕生したのは1927年である。詳細な記録は東京大空襲で多くが焼失したため残っていないが、無線の黎明期からさまざまな実験や社会貢献に取り組んでいたとされる。しかし41年、太平洋戦争の開戦とともに私設実験局の使用は停止された。
そして46年、戦後初となるJARL再結成全国大会が開かれ、会長に八木秀次氏、理事長に矢木太郎氏が就任する。戦後初の会長となった八木氏は、現在も「八木・宇田アンテナ」の発明者として知られる人物だ。
その八木氏が戦後、強く意識していたのが、日本の無線・エレクトロニクス技術を世界水準に引き上げることだった。筆者がアマチュア無線を始めたのが高校生のときの90年代だったが、当時は元通信兵の無線家も多く直接話を聞く機会も多かった。
当時の航空用の無線機では、エンジンノイズにより音声通信が難しかったため、ほとんどモールス通信になった話も聞いた。これは、アメリカではすでにモータリゼーションが進み、1930年代には車載ラジオも普及していたことなどを背景に、エンジンノイズへの対策技術が民生分野でも蓄積されていたことと無関係ではないだろう。
こうした基礎工業力や周辺技術の蓄積の差も、戦時中の無線技術を考えるうえで見逃せない。いわば基礎工業力・技術の圧倒的な差があったといえよう。


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