有料会員登録 東洋経済オンラインとは
キャリア・教育 #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

市だけではなかった!信玄の娘や、細川ガラシャ、茶々まで…「戦国時代」を生きた女性たちの"あまりに悲惨な末路"

7分で読める
市の像(写真:伯耆守 / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

INDEX

天正11(1583)年4月24日、越前・北ノ庄城で「お市の方」(以下、「市」)は夫・柴田勝家とともに自ら命を絶った。享年37と伝わる。羽柴秀吉に敗れ、追い詰められた勝家は、市には落ち延びるよう勧めたとされるが、彼女はこれを拒み、運命をともにする道を選んだという。市が最期に詠んだとされる辞世の句が伝わっている。

「さらぬだに うちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな」

ただでさえ夏の夜は短いのに、ほととぎすが別れを急かしているようだ――。そんな趣旨の歌である。短い生涯を静かに見つめ直すような、澄んだ一首といえよう。

浅井長政のもとに嫁いだ市

市は織田信長の妹として生まれて、永禄年間に近江の戦国大名・浅井長政のもとに嫁いだ。北近江の地は本州の最もくびれたところに位置しており、交通の要衝となる。信長にとって浅井氏との同盟を結んでこの地を押さえることは、戦略のうえで重要なポイントであり、2人の婚姻はその要石だった。

しかし元亀元(1570)年、驚くべきことに長政は、信長を裏切って朝倉方につく。長政が信長包囲網に加わったことで、以後、信長と長政は敵対することになる。

天正元(1573)年、信長は小谷城を攻め落として長政を自害に追い込んだ。夫を失った市は、3人の娘とともに織田家に引き取られることとなる。

それから9年後の天正10(1582)年、「本能寺の変」で兄の信長が横死。清須会議を経て、市は織田家中の均衡を保つための政略結婚として、今度は柴田勝家に嫁ぐことになった。

2/4 PAGES
3/4 PAGES
4/4 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

キャリア・教育

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数