ところが不思議なことに、この直後、信忠は松姫のもとへ迎えの使者を送ったと伝わる。父の敵の娘でありながら、信忠は松姫を正式に迎え入れるつもりだったという。松姫も上京を決意したというが、その道中、本能寺の変が起こり、信忠は二条御所で自刃してしまう。
夫になるはずだった人を失った松姫は、その年の秋、22歳で剃髪して「信松尼」と名乗った。以後、生涯を武田一族と信忠の菩提を弔うことに捧げ、元和2(1616)年、56歳で没している。
なお『豊臣兄弟!』でも話題になった清須会議をめぐっては、信忠の嫡男・三法師(のちの織田秀信)の生母を、この松姫だとする説も一部で語られる。
もし事実なら、三法師は織田信長と武田信玄、両方の血を引く存在ということになり、三谷幸喜脚本の映画『清須会議』では、その説をうまく使って物語にしている。だが、2人が生涯一度も対面していないことを踏まえれば、この説が真実である可能性は低そうだ。
キリスト教徒として死を選んだガラシャ
明智光秀の娘・玉(洗礼名ガラシャ)もまた、戦乱の世で人生が翻弄された1人だ。細川忠興に嫁いだものの、父の光秀が本能寺の変を起こしたことで、人生は暗転。突如「謀反人の娘」となり、2人の幼子と引き離され、丹後の山中に幽閉される。
秀吉の許しを得て大坂の細川屋敷に戻ったのちも、彼女の運命は平穏ではなかった。夫・忠興の異常なまでの独占欲が、ガラシャをさらに苦しめることになったのだ。
忠興は側室を持ちながらも、ガラシャに他の男が近づくことを極端に嫌ったと伝わる。彼女に見惚れただけの庭師を斬り殺したという逸話や、無礼を働いた家臣を斬り、その刀の血をガラシャの着物で拭ったという逸話も残る。
こうした忠興の異常な振る舞いの背景に何があったのか。妻への激しい執着とも、明智光秀の娘を娶ったことで謀反人の縁者と見られ続けた立場の不安定さからくる苛立ちとも言われる。ともあれ、幽閉と夫の激情という二重の苦しみのなかで、ガラシャがキリスト教の教えに救いを求めていったことは、想像に難くない。
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いを前に、石田三成は東軍についた諸大名の妻子を大坂城の人質にしようと図る。ガラシャはその最初のターゲットとして、夫の忠興が丹後を発ち、会津征伐に出陣している最中に、三成勢に屋敷を取り囲まれてしまう。


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