新しい価値観を否定するわけではなく、石附さんなりに自分の店の常連客と向き合い続けた結果だった。
埜庵には、ベビーカーを押す家族連れから、高校生や大学生、ひとり客、親子やカップルまで、じつに幅広い客が訪れる。なかには、10年以上通い続け、店とともに年を重ねてきた常連客も少なくない。
「僕らはもうすでに目の前にお客さまがいる。その人たちの気持ちを無視していきなり3000円のかき氷をつくったら、今いるお客さまを全員捨てなきゃいけない。それは僕がやるべきことじゃないと思うのです。氷づくりから入っているのでなおさら。“かき氷”と呼ぶ限り、素材の頂点は氷、と言うのが埜庵のかき氷の原点です」
コロナの大打撃を乗り越えて
パフェのようなかき氷の到来以上に、大きな痛手もやってきた。2020年から約3年間にわたり続いたコロナ禍だ。
「並んでいただくという手法が取れなくなり、本当に大変でした」と、石附さんは当時を振り返る。
全身全霊で取り組んできた自分たちの店や自分の仕事が、「不要不急」とされてしまうことにも複雑な思いを抱かざるをえなかった。悪質な嫌がらせを受けたこともあった。また、石附さんによれば、当時の時短協力金は、基本夜営業の店に適応されるものだったので、経営は一瞬にして逼迫した。
当時は外出自粛で娯楽もなく、店を開ければすぐ、近所の人だけで行列ができてしまう。いたしかたなく、店を閉めた。
そこに追い打ちをかけたのが、催事の中止だ。このころ埜庵は、夏を百貨店の催事に振り切る営業スタイルをとっており、1年の売り上げの柱はそこにあった。その柱が、まるごと消えたのだ。店も閉め、催事もなくなった2020年の売り上げは、前年の4割にまで落ち込んだ。
「倒産寸前まで追い込まれて、さすがに途方に暮れてしまいました」
それでも、焦ってあれこれと手を出してもいいことはないと直感的に判断し、石附さんのとった策は、何もしない。とにかくジタバタせずに耐えることだった。
「あの頃飲食業のテイクアウトが流行ったけど、かき氷は持ち帰りも通販もできないからね」
そして、コロナ禍が落ち着き、ようやく店を再開できるようになってからも、埜庵は埜庵のままで、今までと変わらないスタンスを貫き続けた。

