次から次へと押し寄せる客に対処する有効な手段を見つけられない。でもその状況は夏だけ。1年間の雇用を維持するにも、スタッフの給料を支払うと、手元にはほとんど残らない。
「最初の7年間はまったく食えませんでした」
その間は石附さんの両親や、妻・晴子さんの実家からも借金をし、冬はアルバイトもしたと明かす。
まず、席数がある以上、1日に案内できる人数の上限が決まる。かき氷の機械1台あたり何杯削れるかの上限もある。その数をもっと増やそうと思えば、機械を増やさないといけないし、氷を削る人や運ぶ人も増やさないといけない。客を長く並ばせるとクレームにもつながり近隣のトラブルにもなる。円滑に営業していくためにも、人をたくさん雇う。
そうして、夏の最繁期にはスタッフは1日14、5人体制となり、かき氷をつくるより、30名あまりのスタッフのシフトをつくるのが第一の仕事となった。人件費はどんどん膨らみ、台風や雨で客足が止まると逆に大きな損失となる。そんな繰り返しだった。
矛盾を抱え続けた10年間
「日本一行列するような店をつくったけれど、それだけでは儲からないということに気づいたとき、どうしたらいいのかわからなくなりました。それまでは、お客さまが沢山来ればそれで解決だと思っていた。でも、お客さまを呼んだうえで、どのように案内して、どう会社として利益を残していったらいいのかを真剣に考え始めたのです」
開業から10年。おいしいかき氷をつくることに費やしてきた歳月の先に、まったく別の問いが待っていた。
行列はできる。それでも、儲からない。この矛盾を抱えたまま、どう続けていくのか。
その答えを探す次の10年の果てに、埜庵はいま、夏になると鵠沼海岸の店舗の営業を休止している。かき氷屋にとって、本来なら最大の繁忙期に、である。

