16年頃から瀬戸さんは一念発起して、表参道にあるシナリオの書き方を学べる養成スクール「シナリオ・センター」に入学。同時に、有名脚本家の個人塾にも通い始めた。
「スクールで初めてシナリオを書いたときに、小学生時代の創作活動の楽しさが蘇ってきたんです。それからはのめり込んで書いていきました」
アイデア出し、企画書作りに駆り出されるも…
シナリオを学び始めてすぐに、知人の紹介で知り合ったプロデューサーに見いだされて、特撮作品の1話分のシナリオを担当。また、連続ドラマのアイデア出しとして現場にも呼ばれるようになった。当時はまだ会社員だったが兼業でドラマ関連の仕事を続けた。
「すぐに結果が出たので『ようやく天職を見つけたんじゃ……』と思いました。だけどそこからが地獄でしたね」
そこから8年近く、アイデア出しや企画書作りの日々が続いた。19年に会社員を辞めて、フリーライターをしながら脚本に向き合ったが結果は出なかった。
そんな瀬戸さんが一縷(いちる)の望みをかけて毎年応募していたのが、各テレビ局が行う新人ライターを発掘するシナリオコンテスト。しかし、良くても3次審査落ち。1次審査に受からないことも当たり前。シナリオに対する情熱もすっかり冷め始めていた。
ついに年齢も30代後半に。「もう潮時かもな」と思い始めていた25年。受賞作やヒットドラマのセオリーを無視して書き上げたシナリオで大賞を受賞したのだ。
受賞の連絡をもらったときは「ようやく報われた」「スタートラインに立てた」と一瞬は浮かれたが、すぐに現実に立ち返ったという。

