どこか別の場所に墓を移すといっても、史跡指定されているので可能かどうかもわからず、しかも莫大な費用と手間がかかる。徳川慶喜公の時代は土葬だったため、遺骨を移すのも、そう簡単なことではない。
「宗旨が違う」と断られ…
それらをどう“しまえば”いいのか――。
山岸さんはまず上野寛永寺に相談したが、徳川慶喜家の墓は仏式ではなく神式で、皇族と同じ「円墳」という非常に珍しい形をしている。寛永寺とは宗旨が違うこともあり、管理を引き受けてもらうことはできなかった。
次に相談した相手は、前述の史料の預け先について相談した徳川文武さんだった。
「慶喜がもっとも信頼していた弟、昭武公のご子孫ですが、これまでお会いする機会はありませんでした。突然の電話なのに真摯に相談に乗ってくださり、『上野東照宮に相談されてはいかがでしょうか』とご助言いただいたんです」(山岸さん)
ホームページの連絡先に電話をして趣旨を伝えると、禰宜(ねぎ:宮司を支える役割をする神職)の嵯峨まきさんが快く会ってくださるという。
「八方塞がりの中、藁にもすがる思いで上野東照宮を訪ねました。すると『お墓のことでお困りでしたら、うちで管理させていただきます』とおっしゃってくださって……。ありがたいお申し出に、あのときは涙が出ました」(山岸さん)

