67年には現店名となる「DUG」を開店した。その1年前の66年には初めてアメリカとヨーロッパに行き、「おしゃべり禁止という日本のジャズ喫茶はあまりにも閉鎖的だ。友達と話せるジャズ喫茶もいいな」と強く感じたという。
特にアメリカに行ったときに目にした、ジャズクラブで生演奏を聴きながら酒を飲んで食べる光景が穂積さんにとって印象的だった。
「日本でもこういうスタイルがいいと思う人がいるのではないかと考えたんです。ジャズ喫茶では1人で難しい顔をしているものだというイメージでしたが、デートもおしゃべりもお酒もある店にしようと思い、DUGをオープンしました」(穂積さん)
村上春樹やタモリらも通いつめた「堅苦しくないジャズ喫茶」
塁さんも、「巨大なスピーカーと膨大なレコードがあり、会話は厳禁、人々はコーヒーを片手に何時間も名盤を聴くという、『聴く』ことに焦点を当てた日本特有の『ジャズ喫茶』文化をDIGで定着させ、その後、より自由に楽しめる居心地のいい空間を創造してDUGを完成させたのです」と振り返る。
穂積さんの出身校である和歌山県立新宮高校の後輩には、後に芥川賞作家となる中上健次さんがおり、穂積さんの弟の同級生でもあった。「兄がジャズ喫茶を東京でやっている」という弟の話を聞いて中上さんは店に来たという。すごくシャイで、ずっと後になってそのときの男性が中上健次だったと知った。
そして中上さんのほか、村上春樹さんや、新宿アルタで生放送していたバラエティ番組「笑っていいとも!」の司会を30年以上続け、後に「新宿の顔」となるタモリさんらも、店の魅力に惹かれてDUGにやってきた。

