理屈は、あとから整えられます。筋書きは、価格が上がったあとで完成します。上昇の初期にあるのは、確信ではなく、不安です。
暴落とは何でしょうか。それは「冷静な再評価」が起きた結果ではありません。「これ以上持ちたくない」「逃げ遅れたくない」という恐怖が、同時に噴き出した結果です。
売る理由は、人によって違います。しかし、売るタイミングは驚くほど一致します。相場には、理性よりも感情が色濃く反映されます。そして重要なのは、その感情が個人のものでは終わらないことです。
相場における感情は、常に増幅されます。他人の判断が、自分の判断を揺さぶり、価格の変化が、感情を正当化し、その感情が、さらに価格を動かす。こうして、相場は自己強化的にゆがんでいきます。誰かが意図して操作しなくても、十分に極端な動きが生まれる。ここに、投資の難しさがあります。
「耐えられない」が相場を動かす
人は、自分の感情は制御できていると思いがちです。少なくとも、自分は冷静で、数字を見て判断しているつもりでいる。しかし、相場において問われるのは、個人としての冷静さではありません。
群集の一部になったとき、それでも同じ判断ができるか。この問いに、ほとんどの人は耐えられません。
相場には、常に「多数派」が存在します。上がっているときは、強気が正義になります。そして慎重さが嘲笑されます。下がっているときは、悲観しない人は「逆張り」と冷笑され、損を出したのは判断が間違っていたからではない、不可抗力であり仕方のないことだ、という寛容の空気により投資家はなぐさめられます。
その同調圧力の中で、人は知らないうちに、自分の判断を群集に預けていきます。自分で考えているつもりで、空気を読んでいる。主体的に動いているつもりで、流れに乗っている。
相場とは、人間の弱さが可視化されたものです。その弱さが、価格という形をとって、誰の目にも見える場所に置かれている。だから相場は、ときに残酷です。弱さをごまかす余地を与えてくれません。正しさも、誠実さも、善意も、等しく吸い込まれていきます。

